Lee Marrow (イタリア)


Lee Marrow (Francesco Bontempi) (1957~) はイタリアのプロデューサー。
70年代からDJとして活動し、85年「上海」「サヨナラ」といった
適当アジア感イタロディスコでヒットします。



Lee Marrow ‎– Pain (1989)
この年から作風をヒップハウスに変えました。
ディスコ時代はイタリア語でラップしていたのですが、
こちらはイタロハウスでよくある英語ラップのループ。


Lee Marrow ‎– Movin' (1990)
The House Crewのヒップハウスからラップをサンプリング。
よく聴くとシンセのフレーズも身近なイタロハウスから持ってきてます。



Lee Marrow Featuring Lipstick ‎– Do You Want Me (1990)
Technotronic風フィメールラップ。途中で叫んでいる
"All you bastards, come here by my side.
Listen honey, listen baby, don't be so fucking serious!"
というフレーズよく聴くのですが元ネタがわかりません。
Do It Properly Part II (1988)にもあるけど、もっと古くからありそう。


Lee Marrow ‎- To Go Crazy (1990)
繰り返されるフレーズはJungle Brothers - Beyond This World
ラップはミドルスクールのDouble J - Bless the Funkから。
あいかわらず近い有名どころから持ってきています。
こういうお手軽さが一部のヒップホップ好きから嫌われる要因かも。



Jam Jam ‎– Everybody (Watcha Gonna Do) (1991)
上で使ったHouse Crewのラップを違う部分で再利用!
お手軽に作るにも程がある。とはいえこの曲は
キャッチーなサビがバブルの日本でうけたみたいです。



Lee Marrow Featuring Ce Ce Houston - Baby, I Need Your Love (1993)
ヒップハウスブームが終わり、イタリアはユーロビートが強い中
彼はこんなかっこいいハウスを作ります。
イタロダンスはメロディに哀愁あるのがいいですね。
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Frank Youngwerth (シカゴ)

Frank Youngwerthはシカゴのミュージシャン。
1984年のハウス黎明期に大学院のためシカゴへやってきて
自分のレーベル「Viola Da Gamba」をはじめました。

Frank Youngwerth
「私はディスコに詳しかった。シカゴに来たころD.J.Internationalの
 人たちがディープハウスと呼んでいた物はディスコが主だった。

 R.E.M.みたいなオルタナバンドに所属したこともあったけど
 長くは続かなかった。一人の方がいいと思ってたところに
 ハウスならバンドじゃなくてもレコードが出せると思ったんだ。

 テレビを見ていたらSteve “Silk” Hurleyが出てきてね。
 彼のJack Your BodyはUK No.1だっていうじゃないか。
 マジか!ベッドルームで作ったやつが?!って驚いた。
 
 まあ彼はスタジオで作ったろうけど、当時のハウスは
 家で作ってるやつも多かったんだよ。
 アメリカンポップスは企業の利益が大きかったんで
 ベッドルームからUK No.1に私もなりたいと思ったね。」



PDC - Love For Sale (Armando 303 Instrumental) (1989)
「さてレコードを作ろうにも全く知識がなかった。音楽は得意だし
 楽器も持ってるけどスタジオの使い方がわからなくてね。
 ディストリビューターのGherkin Recordsをはじめた
 Brett Wilcotsにデモをわたして、教えてもらうことになったんだ。

 彼はまずMixしてくれるアーティストを探せという。Hot Mix 5が
 好きだったのでKenny "Jamin" Jasonに頼んだらあっさりOK。
 だけどBrettは彼はやめておけといい、Armandoの電話番号を渡してきた。

 アーティスト名はPaint Dirt Combinationにしたんだけど
 あんまりなんでPDCに。ArmandoはTB-303を抱えてやってきた。
 テープで同期できないんだけど、彼は耳で合わせていたね。
 このレコードは私が知らない間に1000枚もプレスされて、
 主にニューヨークで全て完売したんだって。」


「CASIOのSK-1っていう安いサンプラーを買ってね。
 Importsでハウスのレコードを2,3お勧めしてもらったんだ。
 サンプリングして、ベースラインの上にJAZZ風のコードを展開。
 Gherkinの人達に聴かせてみたら、リリースすると言ってくれた。
 Roy AyersのコーラスをやっていたMondee Oliverのシングルにしたいと。

 私はすぐに弁護士を雇い、メジャーに契約されたら
 追加で報酬を貰うという契約条項を入れた。
 彼らはそんなこと起こりっこないって言ってたけど
 そのぐらい売れると思ったんだ。そうしたら思いどおり、
 NMEを開いてみたらハウスチャートの2位になっていた!」



Mondeé Oliver ‎– Stay Close (1989)
「この曲は踊れるようなもんじゃないと思っていたけど
 Larry Heardが気に入ってMixを担当してくれたんだ。
 正直それを聴いたときもピンとこなかったんだけどね。
 でも今は気に入ってる。私のトランペット・ソロも入ってるよ。」



Frank & Fozzy ‎– Get Hip To The Music (1990)
「自分のレーベルViola Da Gambaのリリースは全部で5枚。
 Fozzy Keithと私でラップしたヒップハウス「Get Hip to the Music」
 女性シンガーErnestineをフィーチャーした「When I See You」
 トランシーな感じを出したかった「Whirr」これで全部。
 毎回名義も音も変えてたのはダメだったな。キャラが立たなかった。」



Louis Armstrong & Former Band Members - Hello, Dolly (1992)
「やがてGherkinはつぶれ、リリースを止めざるを得なかった。
 その頃には音楽は変わってしまった。レイヴに取って代わられ、
 シカゴハウスは時代遅れになってしまったんだ。
 それからはトランペットでセッションをしたり、音楽ライターをやった。」



Frank Youngwerth - Love For Sale on CHic-A-Go-Go (2013)
シカゴローカルの子供向けダンス番組に出演。
今はシカゴ建築ファウンデーションの営業を経て
"self-employed at MC Music" をやっているそうです。何だそれは。


※gridface http://www.gridface.com/features/frank_youngwerth.html

Mad Doctor X (UK)


Mad Doctor X (Frederick J. Carter) はUKのDJ/プロデューサー。
90年代にNinja TuneからDJ ToolzシリーズやLondon Funk Allstars
かっこいいブレイクビーツをリリースしていました。
今回は彼の80年代後半の曲を聴いてみましょう。



The Dynamic Guv'nors - Acid Jackson (1988)
いきなりの問題作!Michael Jackson - Badの声を
ボイス連呼物ブレイクビーツに。ささやきもうまく使っています。
自分のレーベルからのリリースなんですが、カタログ番号が
SEX-069からはじまる適当な感じで最高です。



The Mixtress ‎– People Of The Universe (1989)
Inner City - Big Funを取り入れてJames Brownの声ネタ
ブレイクビーツ+アシッドベースでかっこよくまとめました。
ファンキーな「間」を埋めずに生かすのがうまいですね。



MC Untouchable - Untouchables Theme (1989)
ラップ入りブレイクビーツ。レーベルの外周に
「無断コピー、放送、演奏、その他をおかしたものは
チャイニーズバーンをくらわせる」と書いてあります。
これは何かと調べたところ、両手で腕をひねり上げる行為を
UKのこども達の間でこう呼ぶのだそうです。
元々は中国の武術、マーシャルアーツが起源らしいのですが
同じ行為をアメリカではインディアンバーンと言うとか。不思議ですね。



Blapps Posse - Dont Hold Back (1990)
当時の代表曲。Wikipediaによると、当時の彼の曲は
Baltimore Breaksのクラシックとして扱われているそうです。
このユニットはのちに彼もスクラッチで参加するユニット
FreestylersのAston Harveyが参加しています。



The Blapps Posse - Bus' It (1990)
ベースがものすごいブリープテクノ。
ブレイクの電撃みたいな音メチャクチャかっこいいですね。
後半のレイヴシンセもたまりません。


London Funk Allstars - Chun Li vs Wah Wah Man (1995)
5年がたち、すっかりベテランになった彼。
トリップホップがブームになる頃はこんなしゃれたサウンドに。
冒頭の電気グルーヴRemixはこの後1998年です。



J Soul Brothers ‎– D.T.B. (Do The Basic) (2000)
なんとその電気Remixから2年後、このシングルのC/Wに
彼のRemix "Chaos (Freestylers-J Rock Remix)"が入っています。
avexがクラブからのヒットに力を入れていたみたいで
EbomanのRemix入り12インチプロモも作られました。
この翌年J Soul BrothersはEXILEに名前を変えて再スタートします。


※http://www.chinahistoryforum.com/topic/16044-origin-of-chinese-burn/
※Wikipedia - Mad Doctor X http://en.wikipedia.org/wiki/Mad_Doctor_X

Floyd Dyce (UK)

Floyd DyceはUKのプロデューサー。


Galaxy - Dancing Tight (1983)
彼はDiscoバンドGalaxyのバックシンガーとしてデビューします。
歌ってるPhil Fearonはのちにハードコアテクノのレーベル
Production Houseを創立する人物。



Dance Aid - Give Give Give (Remix) (1987)
1984年のBand Aid、1985年のWe Are The Worldに続けと
ダンス版をCool NotesとPaul Hardcastleが作るも売れず。
Stock Aitken & WatermanのRemixでようやくヒットしました。
Dyceも参加しています。胸キュンテクノポップでいいですね。


Jazz&The Brothers Grimm Ft Baby D & MC Juice ‎– Casanova (1989)
Discoのレーベルとして始まったProduction Houseは
8番で方向転換しヒップハウスになります。
この曲のブレイク部分をProdigyがサンプリングしてますね。



MC Juice ‎– Living A White Lie (1989)
よりラップを打ち出したブレイクビーツ・ヒップハウス。
この人キレのいいラップで声かっこいいですね。



House Crew Feat. M.C. Juice ‎– All We Wanna Do Is Dance (1989)
初期ハードコアテクノで有名なAcen (Syed Ahsen Razvi)らのユニット。
クレジットにDyceの名前はないのですが、当初House Crewは
レーベルによる匿名グループだったので参加しているのではと思います。
AdamskiによるボコーダーヒップハウスMixもまたかっこいい。



The House Crew ‎– Keep The Fire Burning (1991)
その後ユニットはDyce & Acenの二人ユニットとなり
ヒップハウス→ブリープ→ハードコアテクノと変化、アンセムを生み出します。
ヒップハウスの世界へようこそ
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