Mike Dunn (シカゴ)


Mike Dunn(左)はシカゴのサウスサイド、Englewood出身のDJ。
初期シカゴハウスのプログラマーとして多くの名曲に関わりました。

Mike Dunn
「83~4年ごろ、高校を出てすぐにDJを始めた。
 Steve Poindexter, Armando, Terry Hunter, Gene Hunt。
 最初はみんな俺にレギュラーパーティーでプレイさせてくれなかったんだ。
 たぶん俺があまりにゲットーでガラ悪かったからだろうな(笑)」

 Leonard "Remix" Rroyに影響を受け、俺達は2台のオープンリールや
 リズムマシンを使ってDJをしていた。Daft Pankよりずっと前にね。


中央下の黄色マークがEnglewood。
上の緑マーク三つがWarehouse前期後期とPower Plant。


大阪でいうと藤井寺から東大阪に行く感じです。

 Hugo HutchinsonはいつもPowerPlantへ誘ってきてたんだけど、俺は
 『遠いし、あそこゲイがいっぱいじゃん!』とよく知らないで言ってた。
 今はゲイの友人もいるけど、二十歳そこそこの時は怖かったんだ。
 だけど行ってFrankieのDJと圧倒的なシステムの音を聴いてしまったら
 こんなすごいのを知らなかったなんて!と興奮してしまった。

 Music Boxの外に車を止めて遊んでたのも楽しかったな。
 俺達はクラブに入らないで一晩中車の所にいたこともあった。
 中と同じぐらい、車のところでもパーティーが盛り上がってたんだ。
 Ron Hardyのテープをかけてラリっちゃって…パーティーさ。」



Mike Dunn - So Let It Be Houze! (1988)

「母ちゃんは幼い俺を連れ、毎週レコード屋へ行って新譜をチェックし
 これのディスコバージョンはないの?長いやつと尋ねていた。
 父はオーディオマニアで、最高のステレオを持っていた。

 俺はスタジオにあるものがどういう仕組みで動くのか興味があるんだ。
 リズムマシンをつけてパッとはじめるんじゃなくて、なぜ、どうやって
 それが動くのか詳しく知っておきたかった。

 祖母がクリスマスにレコードプレーヤーを買ってくれたことがあったんだけど
 俺はそれを分解してしまった。どうやって動くのか知りたかったんだ。
 案の定、祖母はものすごく怒ってた。
 今でも俺の事を知ってる友人はわからないことがあれば電話してくるよ。
 俺は取説を毎日隅々まで読んでいるからね。」

--ソフトを買って、即プロデューサーと言ってしまう現状をどうお考えですか。

「怒るってことはないな。時代に乗り遅れちゃダメだ。
 アナログのスタジオと同じぐらいデジタルのスタジオも使えないと。
 ターンテーブルが手に届くようになった頃と同じだ。誰でもDJを名乗ってた。
 だけど創造力は無くしちゃダメで、プリセットの音は絶対に使わないよ。」



M.D Connection ‎– Kan U Pump It (1990)

--匿名リリースや本名を出さないことが多いですよね。

「そうだね。MD名義か別名がほとんどだ。オールドスクールから
 学んだんだけど、裏方のやつが一番金持ちなんだよ(笑)
 まあそれは冗談としても、俺は他人の夢を形にする手伝いが
 好きなんだ。みんなが知ってるあの曲やこの曲も手がけてるけど、
 ばらして表に出てるアーティストの名前を汚すようなことはしたくない。
 まあそうだな、雑誌でクソ曲特集とかやるなら全部語ろうかな(笑)」

--クソといえば、TraxやD.J.Internationalはどう思っていましたか。

「搾取されたという人はもう今じゃだいぶベテランなんだよね。
 確かにお金は手にしなかったけど、そのおかげで軍にも入らず
 世界中を旅できたりしたんだ。悪いことばかりじゃない。

 搾取されたという一方でRockyが1万ドル払ってるのを見たこともあるし、
 ラリーと仕事をした(裏手に回ってレコードを盗む以外の!)時には
 もっと大きい額を貰ったこともある。レーベルをやってわかったんだけど、
 最初にお金をあげたら、売行きによっては足りないと感じてしまうんだ。
 最初は少なく、 終わってから多くを渡すといいんだ。」



MD III - Shake That Body (1990)

--復活したWarehouseについて。

「1990年10月31日、ランドルフで復活した。最初のDJはFrankie。
 Rocky Jones、Joe Smooth、Julian Perezがオーナーだ。
 俺がそこにArmandoやK-Alexiを雇い、Craig Loftisは音響を担当した。

 ある日、Ron Hardyがブースに来てくれたんだ。俺はマイクで彼を
 紹介しようとしたけど、彼はやめてくれと言う。
 『俺はただ見に来て、バトンを渡そうと思っただけさ』
 そのために会いに来てくれたなんて!たった4分だったけど、俺はDJ中
 あんなに踊ったことはなかった。病気なのに、こっそり来てくれたんだ。」



Mike Dunn - Born 2 B Houze (1990)

--1990-1992はハウスを作らずラップをやっていましたが、ラップは前から?

「ハウスを作っていた時もラップしていたよ。DJでもラップしていた。
 でも、ハウスをやめていたというのは事実だね。
 Warehouseの質が低下して、プロップスを得るために来ている人が増えた。
 俺はDJする場を追われ、階段でヒューズをとばしながらプレイした。
 お金を出し合って新しいクラブを作ったけど、お客さんは来なかった。」



Mike Dunn presents Mr. 69 - Phreaky MF (Release 2008)
Armandoが亡くなる前にフロアで聴きたがっていた曲。

--「Freaky Muthafucka」はどうして未リリースだったのですか?

「亡き祖母と俺は毎週日曜に教会へ行って、そこではいい子にしていた。
 悪いことは散々やってたけど、完璧な孫を演じてたんだ。
 だからこの曲を聴いたときはものすごく驚いてね。
 それでこの曲は祖母がいる間はリリースしないと決めたんだ。」

※Mike Dunn - The 5 Magazine Interview
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Bass Bumpers (ドイツ)


Bass Bumpersはドイツのグループ。
Henning ReithとCaba Krollの二人で結成されました。



Bass Bumpers Featuring Nana* ‎– Can't Stop Dancing (1990)
デビュー作がいきなりドイツ、フランス、UK、US、オランダから発売。
オリジナルよりもRemixバージョンがかっこいいです。



Bass Bumpers ‎– Get The Big Bass (1991)
こちらも各国からリリース。UK盤はなぜかこの
一番かっこいいPiano Mixが入ってません。
この人たちはミックスで全然違うので全部聴きましょう。



Vamoz ‎– In The Summer (1991)
Bass Bumpersの別名義。さわやかな夏ヒップハウス。
ユーロダンスとハウスの良い部分をあわせています。
イエー!の声ネタが空気にあってなくて良いですね。



E-Mello - Situation (1991)
ラップをしていたE.Mello (Nelan Freeman) のソロ。
Yazooネタの軽快なヒップハウスです。



Bass Bumpers - Advance (1992) (Full Album)
ヒップハウス期のまとめ的なアルバム。
808State"Pacific"にボーカル入れたような曲や
Elvis Presleyのサンプルを使ったヒップハウスなど
曲調もバラバラでいい曲ばかりです。



その後はユーロダンス方面に進み、Bass Bumpers名義での
リリースは1995年でなくなります。しかし同じメンバーでの
楽曲提供はその後も続けられ、2005年には
Crazy Frogへのプロデュース曲(Remix)がヒットしました。
ヒップハウスの世界へようこそ
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