Marshall Jefferson (後編)

Steve"Silk"HurleyをはじめとしたJackスタイルや
ムーディーなLarry Heardがヒットする中、彼は
ピアノを前面に押し出した曲を作りました。

Marshall Jefferson
「The Rolling Stonesの"Sympathy For The Devil"は大好きな曲だ。
 無意識にテイストが入ってしまったかも知れないね。」


The Rolling Stones - Sympathy For The Devil (1968)

彼は郵便局の仲間たち(Curtis McClain、Rudy Forbes、Thomas Carr)
とスタジオに入り、歌詞作りを手伝ってもらいました。
3時間で出来上がった作品は会心の出来で、売れると確信しました。

レコード化のため、まずはラリーシャーマンのプレス工場へ。
しかしラリーはあまりこの曲が好きではありませんでした。
「こんなのはピアノだからハウスじゃないね。」
彼は気にせず、自分のレーベルから出すためにプレス代を払います。

おかしいなと思った彼は、友人の反応を聞きに行きました。
Sheba Baby ClubではMike Dunn、Tyree Cooper、Hugo Hutchinsonが
DJをしています。彼らに曲を渡すと、感想を述べてくれました。
「いい曲だけど、ピアノだからハウスじゃないね。」

Music Boxへ向かうと、K.Alexiたちがクラブの外でたむろしていました。
そこで彼はカーステレオを大きくして曲を聞かせました。しかしあまり
反応はなく、未発表の曲の方が好きだといいます。
「いい曲だけど、ピアノだからハウスじゃないね。」


Ron Hardy Musicbox 1985

Music Boxの中に入り、Ron Hardyにデモを渡しました。
「ウン…ウン…」彼は何も言わず深くうなずき
その後すぐにプレイしてくれました。こんなことは初めてです。
それどころか一晩に6回もプレイし、彼自身もノリノリでした。
この日以来この曲はMusic Boxの特大アンセムになり、
Ronは誰にもこれをあげるなよとクギをさしたのでした。

彼は自信を取り戻し、もう一度ラリーの元へ向かいます。
みんな熱狂している、これはハウスミュージックアンセムだと。
しかしラリーはまだプレスする気がありません。流行の
ジャックハウスじゃない、この曲調じゃ売れないと思ったのです。
もはやブート作りがメインになっていたのでしょう。


Vince Lawrence Interview, Part Three: The Founding Of TRAX And More

Ronに言われたとおり、彼はむやみに曲を渡さないようにしていました。
しかしRon Hardy最大のライバルFrankie Knucklesの手に渡ってしまいます。
そこから先は、トントン拍子にことは進みました。

1.友人Sleezy DがFrankieにダビングテープを渡す。
2.FrankieがLarry Levanに渡し、Paradise Garageでプレイ。
3.イビサのDJ Alfredoがコピーを手にして帰る。
4.イビサに来ていたUKのPaul Oakenfold、Danny Ramplingらが手に入れる。
5.BBCのPete TongとPaul "Trouble" Andersonも手に入れる。


こうした経緯で、リリース前にもかかわらずUKでヒットしてしまい
UKからシカゴへ取材陣がやってきました。

Marshall Jefferson
「ラリーは取材陣に向かって、ハウスの専門家だと言ってたね。
 自分がシカゴのクラブをご案内しますと。そうしたら、どのクラブでも
 テープの汚い音質でMove Your Bodyがかかり、みんな熱狂していたんだ。」

最初の依頼から13ヶ月。ようやく彼の曲はレコードになりました。
彼のレーベルではなく、ラリーのレーベル・TRAXとして…。


Marshall Jefferson - The House Music Anthem (1986)
名義がMarshall Jeffersonだったため、彼は郵便局の仲間に責められました。
ラリーが勝手にやったんだというと、今度はラリーの元へ飛んでいきます。

ラリーシャーマン
「Marshall Jeffersonには15万ドルのお金を渡し、単独名義で契約したんだ。
 いや失敬、君達の歌詞があってこそだったね。すごくいい歌だ。
 どうだい、奮発するから君達も契約しないか?」  

Marshallはお金をもらうどころか、プレス代1500ドルを取られています。
しかし、仲間はもう術中にはまっていて彼の言葉を聞きません。
最終的にはもらうお金の件もうやむやにされ、仲間たちはTRAXから
On The House名義でレコードを出すという条件で契約をしてしまいました。



Curtis Mc Claine And On The House ‎– Let's Get Busy (1988)
郵便局の仲間名義で仕切りなおしたMove Your Body。

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Marshall Jefferson (中編)

Marshall Jefferson
「俺のレコードがかなり売れたのを見て、TRAXから
 Vince Lawrence名義で"Virgo Trax Again"なんてレコードが
 発売された。あいつは乙女座(Virgo)じゃないのに!」

やる気を失った彼を励ましたのは、Musix Boxでした。
Ron Hardyが彼の曲をプレイし、お客さんが熱狂しているのを
見たMarshallは気を取り直して次のEPに取り掛かります。



Virgo - My Space (1986)
彼はAdonisと「Virgo and Adonis」というレコードを
出すため、一緒に"My Space"という曲を作りました。
それから彼は最初につくった"Free Yourself"と"Under You"、
Adonisは"No Way Back" "The Final Groove"を提供。

Marshall Jefferson
「いまいち"I've Lost Control"みたいなヤバさがないな。
 でもまあ、ひとまず一緒にEPで出してみようか。」

Marshall先輩の優しい一言にAdonisは喜びました。
計5曲のアルバムが完成し、Marshallのレーベルから出そうと
ラリーシャーマンのプレス工場にお金を払います。



Adonis - No Way Back (1986)
しかし、うまくはいきませんでした。ラリーはクラブで
"No Way Back"に熱狂するフロアを見たのです。

ラリーはこれを見て興奮、頭はお金の事でいっぱいです。
「なあAdonis、この曲はEPに入れずに、シングルにしなよ。」
夢のような誘いに、Adonisも飛び上がりました。
「おお、もうEPなんか知らねえ。俺はシングルで出すことにする!」




Virgo - R U Hot Enough (1986)
裏切られたMarshallは仕方なくもう一曲作り、4曲入りEPを完成。
しかしNo Way BackのヒットをきっかけにAdonisはスターになり、
Marshallは儲けるためにスターの名前を利用した
汚い男という評判が立ってしまいました。

Marshall Jefferson (前編)


Marshall Jefferson (September 19th 1959~)

80年代前半、警察官の父と教師の母に育てられ大学生になった彼は
郵便局のバイトでせっせとお金をためていました。だいぶ余裕がでた頃、
ギタリストの友人が楽器屋へ行くのにつきあいます。

店員
「いらっしゃい!これはシーケンサーといってね、キーボードが
 弾けない人でもプロみたいに演奏できるんですよ。」

Marshall Jefferson
「マジかよ、やり方知らなくても音楽が作れるだと?すげえ!
 俺もスティービーワンダーみたいになれるのかよ!!」

友人
「バカ言ってんなよ、売りたいから適当言ってるに決まってんだろ」

店員
「さあさあ、シーケンサーを買ったらキーボードも買わなくちゃ。
 ミキサーも欲しくないかい?あとTB-303っていうのもあってね…」

彼は友人に馬鹿にされつつも、約百万円もの大金で一式を揃えます。
2日後には彼の最初の作品ができあがりました。


Virgo - Free Yourself (1985 Release 1986)

「Jamie Principleはエモーショナルで複雑な曲だったから、俺には
 まだ曲作りなんて早いと思っていた。だけどJesse Saundersは
 俺の作ってるビートトラックスと大差ないつくりだった。
 これなら、俺だってできると思ったね。

 曲作りをはじめて、Music Boxはゲイばかりなので行かなくなった。
 若い女の子をゲットするため、他のクラブに行き始めたんだ。
 しばらくして友人のSleezy DがMusic Boxに行くと、俺の作った曲が
 Ron Hardyにプレイされているって言うじゃないか。」


Sleezy D - I've lost control (1985 Release 1987)

彼は大学を中退し、曲作りに没頭しはじめました。
Jamie PrincipleがFrankie Knuclesに曲を提供したように、
彼の曲はRon Hardyがテープでヘビープレイ。いよいよ次は
レコード作りに取り掛かります。彼は父親がレーベルをやっている
Vince Lawrenceにレコーディングを教えてもらうことにしました。

「俺たちが右も左もわからないころ、あいつだけはハウスなんて
 誰でもクソ簡単に作れることを知ってたんだ。半年の間一緒に
 スタジオにいたけど、『キーボードが汚れてると音が悪い』
 とか難しいことを言ってDX7を部品交換に出したもんだから
 このアルバムはリズムトラックのアルバムになってしまった。
 
 JesseとVinceはみんながハウスのレコードを出してしまうのを
 恐れていたんだろうね。自分たちだけが儲かりたかった。」
 


Virgo - Go Wild Rythm Trax (1985)

そうして苦労の末できあがった彼の初アルバム。
レーベルには彼のあだ名「Virgo(乙女座)」と
大きくサインをして、さあラリーシャーマンのプレス工場へ。

virgo.jpeg

できあがったレコードには、ちゃっかり
"Produced by Vince Lawrence"と書き足されていた。
彼はすっかりやる気をなくし、音楽を辞めようと思っていました。

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Gershon Jackson (シカゴ)

Gershon JacksonはシカゴのDJ / プロデューサー。
Mike Dunnのプロデュースでヒップハウスの名曲を生み出しました。


"The Chicago Bad Boy" Featuring Gershon Jackson
             - House Music All Night Long (1990)

ArmandoのレーベルWarehouse4番。
Dance ManiaのオーナーRay Barneyが販売しました。

Chicago Bad Boys=Brian Harris、Steve Poindexter、Armando、
Terry HunterらArmandoまわりの人たちのグループです。
固定メンバーはなく、ライブや宣伝をグループ全体で行っています。



Gershon Jackson ‎– Ya'll Be Easy
Mike DunnのレーベルDance Muthaからのリリース。
"100% Of Disin' You"とよく似た曲調です。
自分のスタジオをB.A.D.Studiosって呼んじゃう。



M.D. III ‎– Shake That Body (1990)
Fast Eddie、Tyree、K-AlexiらD.J.International勢が
よってたかってMixしました。DJインターによくある
オリジナルと全然違う他人のMixが良いパターンです。



Ten City Presents D.J. Shon - Rejoice (1992)
ディープ~ガラージハウスのTen Cityとの共作。
92年、多くのヒップハウスはハードコアテクノにのまれるのですが
こちらはさすがの爽やかヒップハウスにできあがっています。



Gershon Jackson - Love Desire (Mike Dunn's Blackball Love Mixx) (2015)
2007年には自身のレーベルOmni Music Solutionsを設立。
Mike Dunnとのコンビは2015年の今でもまだ続いています。
めちゃくちゃファンキーでかっこいい!

愛された笑顔

「もしもし、Armandoは今病院にいる。会いにきてくれないか」

Mike Dunn
「最初は彼の状態を知らなくて、病院へ送った人からの連絡で知ったんだ。
 Armandoはカトリックだった。病室に着いたとき、牧師が部屋を出ていった。
 『まだお若いのに…』
 
 部屋に入ると…なんてことだ、顔は膨れ上がり、足も…ベッドを見ると
 「彼の容姿については言わないでください」と張り紙がしてあった。
 自覚はなかったのだろう。俺は座り、話をして、お祈りをした。

 部屋を出て、俺は泣いた。信じられなかったんだ。

 
 ひと月がたち、病状はだいぶよくなったようで、再度病院を訪れた。
 見た目にもはっきりと良くなっていて、まだ張り紙はしてあったけど
 腫れはすっかり引いていた。彼はか細い声で話した。
 
 『やあ、Mike…君がWarehouseで…
  "Freaky Muthafucka"をかけてたって聞いたよ…
  みんなクレイジーに踊ってたってね…俺もはやく聴きたいな…』

 
 順調に回復したので彼は退院し、家で話もできていた。
 俺はドイツへDJに行って、そのまま乗り継ぎでニューヨークへ
 Byron Stingily "Get Up Everybody"のビデオ撮影へ向かった。
 すべてはうまくいって、彼も良くなっているはずだった。


Byron Stingily - Get Up Everybody (1997)
 
 俺とBig Ed、Ronは車で帰っている途中だった。猛吹雪の中を運転し
 シカゴの近くまで来たとき、電話が鳴った。Big Edが電話に出て、
 あとはみんな音楽を聴いてたんだ。電話の相手はTerry Hunterだった。
 何を話してるのかはわからない。彼は受話器を置いて言う。
 

 『音楽を止めて聞いてくれ。Armandoが亡くなった。』


 俺は思わず車を降りた。外へ出て、歩きながら叫んだ。
 『嘘だ、嘘だ。帰ってくるまで待ってるって言ったじゃないか。
  帰ってくるまでって…』


 家に帰り、安置所についたのは5時だった。葬式は7時から始まった。
 俺は座り、立ち上がる気力もなかった。彼の両親はカトリックなので
 教会で準備されていた。俺は行きたくなかった。彼を見たくなかったんだ。

 彼と最後に電話で話したときも、明るい口調で話してた。
 ドイツに行くから、帰ってきたらまた遊びに行くよって…」


Terry Hunter
「病院へ行ったとき、俺は彼を直視できなかった。
 彼は物を食べられなくなって、自力でフォークすら持てなかったんだ。
 それでも、俺達の前では笑顔でいようと努めてた…。

 彼が亡くなって、俺たちは胸に穴が開いたようだった。
 若かった俺は、どうすればいいかわからなくて
 Mikeと棺の前で抱き合った。あいつも同じだった。
 『なあ、俺たちはずっと一緒だったよな、一緒にやってきた…』」


Farley "Jackmaster" Funk
「深い悲しみの日々だった。
 俺は彼の病気を知ってからカトリックになったんだ。
 欠かさずお祈りをして、彼を元気付けようとした。」


Paul Johnson
「彼とはすごく仲が良かったけど、何もできなかった。
 入院中、まわりはみんな会いに行っていたんだ。
 『Paulは?Paulに会いたいな。』ってずっと言ってたって。
 
 でも、申し訳ないが行けなかった。
 ずっと車椅子の俺が行って、何を励ませるっていうんだ。

 亡くなったのを聞いたときも、顔は見れなかった。
 彼の思い出をその顔にしたくなかったんだ。いつも笑っていて、
 くだらない冗談を言う、いつもの彼の顔のままにしていたかった。

 俺は彼との思い出が詰まったTR-707を預かった。
 棺の前で、彼の腕をつかんで泣いていた。」
 

Mike Dunn
「俺はDJの前に、いつも祈ってるんだ。
 今ごろ苦労を乗り越え天使になって、見に来てるに決まってる。
   
 こうすべきとか、トライしなきゃとか、説教じみたことは嫌いだ。
 Armandoはトライすることは怖くないって教えてくれた。
 俺より若いけど尊敬していたし、彼も同じだった。」


R.I.P. Armando Gallop


※http://www.5chicago.comより

Armandoの友人たち


Paul Johnson
「1984年にはじめて会った時、俺はブレイクダンサーだった。
 スケートに行って、そこでDJしてた彼に話しかけたんだ。
 仲良くなってからというもの、俺たちはよくつるんでた。
 
 ある晩、俺たちはTRAXのプレス工場へ行ってごみ箱を漁る計画を立てた。
 "Move Your Body"のレーベル難あり品が大量に捨てられていてね。
 だけど従業員に見つかってしまった。
 気づくとArmandoは俺を置いてさっさと車で逃げてやがった!
 俺はレコード箱を持って死に物狂いで逃げる羽目になったんだ。

 やつは車から20秒おきにこちらに向かってまっすぐだ!東だ!
 とか指示をだしてくるんだ。刑務所かっつうの」

「あいつがTR-707を買ったとき、俺らの仲間は誰も機材を持ってなかった。
 それでビジネスにしやがって、触るのにレコードが必要だったんだ。
 15分ほどのトラックを作らせてくれよって言ったら
 『いいよ、じゃあI Fear Nightを2枚で手を打とう』だと。
 それでも、あんな楽しいことはなかったな。」


Tyree. Featuring. Chic - I Fear The Night (1986)

「"Land of Confusion"が出たころ、俺は撃たれて入院していた。
 リハビリの真っ最中だったけど、看護婦は夜中こっそり俺を
 娯楽室に入れてくれ、午前2時までやってるWBMXを聞かせてくれたんだ。
 そこで聴いて、死ぬほどぶっとんだね。」

Eric Martin
「ヤツとは1985年、リトルリーグのチームメイトだった。
 一緒に機材を手に入れて、近所でハウスパーティーをしていたんだ。」

Mike Dunn
「やつはWarehouse、俺はDance Muthaレーベルを。
 さらに二人共同でMuziqueレーベルを経営していた。
 ある日Lil Louisが"French Kiss"を出してくれって来たんだけど
 俺はArmandoに『だめだめ、こりゃ売れないわ』と言ってしまった。
 Armandoは『これすげー売れるって!』って推してたんだけどね(笑)

 やつはプロモーターとしてもすごい奴だった。夜中にポスターを
 貼りに行って、朝7時には町じゅうの電信柱にポスターが
 貼られているんだ、それもかなりの範囲にね。
 その集中力と行動力には感心させられたよ。」

Gene Hunt
「1989年、俺のデビュー作"Living In A Land"を作っていた時にTRAXで
 知り合った。行き詰った俺は彼に相談、TB-303を借りて作ったんだ。
 だからプロデューサーにクレジットされてるんだよ。」

Gene Hunt - Living In A Land (1989)

Kevin Starke
「土曜の夜、クラブWarehouseは彼が回してたんでよく行ってた。
 知らないレコードだったら見せて説明してくれたんだ。
 
 土曜の夜は黒人がほとんどだった。彼は俺にレコードを見せて
 『こいつでめちゃくちゃアゲてやる!』と言うんだけど
 それがNirvanaの"Smells Like Teen Spirit"でね。黒人が
 そんなので盛り上がるわけないと思ったよ。

 だけどどうだ、例のギターリフが鳴ったら、みんな狂ったように
 踊りだした。『何これ!すげえな!』ってね。  
 ああいう人にはこれはウケないだろうなとか、そんな先入観は
 持っちゃダメだったんだ。お客さんをつかんだら、流れで
 どこまでも持っていけるのがDJなんだよな。」


Reggie Davenport
「Warehouseで"Land of Confusion"を聴いたんだ。欲しくなったけど
 どこにも売ってなくてレーベル見て電話かけて、家まで行った。
 彼はすごいクールな人だったね。Land of Confusionを2枚と
 "Armani Trax"のプロモを2枚くれたよ。」

Robert Armani - Armani Trax (1990) 

Farley "Jackmaster" Funk
「やつのスタジオにレコードを忘れてきたことがあってね。
 取りに行ったらレーベルのところに色が塗られてたんだ。
 『この点々のしるしを見てよ、これは俺のやつだよ』
 とか言うんだけど、そのレコード持ってなかったはずなんだ。
 あれはぜったいに俺のやつだよ(笑)」

Terry Hunter
「よくつるんでたね。お互いの家に泊まりに行ったり。
 今でも住所は覚えてるよ、9129 S. Aberdeenだ。
 あいつはいつも笑っていて、喧嘩してるところを見たことがなかったな。」


下の緑の家マーク。だいぶ南の方ですね。


大阪でいうとPL学園とほぼ一致です。


※http://www.5chicago.comより

100% Of Disin' You


Royal House - Can You Party (1988)

「Todd Terryみたいなハウスが作りたいな」

ArmandoはエンジニアのMike Dunnにアイデアを持ちかけました。
MikeはJunior Vasquezの曲からLoleatta Hollowayの声を
サンプリング、他にもいろいろとMixし
Todd Terry調のサンプリング・ハウスが完成しました。


Armando - 100% Of Disin' You (1988)

Mike Dunn
「シカゴはシカゴ、NYはNY。自分のまわりしか気にしてなかったね。」

しばらくして、彼らはニューヨークのニューミュージックセミナーへ
参加しに行きます。ここは1986年にD.J.Internationalがヒットして以来
ハウスアーティストとラッパーを繋ぐ重要な場所になっていました。

Terry Hunter、Armando、他7~8人がレッドゾーンで座っています。
運の悪いことに、その少数の中にTodd Terryがいたのです…。
Armandoの名札を見たToddは胸ぐらをつかみ、隣に座っていた
同じブルックリンの大男に呼びかけました。
「おい!マザファッカ野郎がこんなとこにいやがったぜ!」


大男はKenny Dope。Toddは自分の作品に似たトラックに
"I'm gonna diss you right now."(てめえをディスってやるぜ)
というサンプルが乗っていたので、自分に対するディスだと
受け止めていたのでした。

しかし、Armandoの友人Terry Hunterもかなりのワルだったので
よくわからないままこの騒ぎに参加します。

Terry Hunter「おうTodd、なんか文句でもあんのかよ」
Armando  「Toddをディスってなんかないよ、ただのサンプルだよ…」
Terry Hunter「デカイの、早く立てや!せいぜい自分の身守っとけよ!」
Kenny Dope 「おい、ここはニューヨークだ。わかってんだろうな。」
Armando  「Terryも落ち着けって…。ケンカはやめよう」


Terryは側にあったシャンパンボトルをスピーカーで叩き割り
Kenny Dopeに詰め寄ります。
Terry Hunter
「お前らが俺らを叩きのめすんなら、
 俺はこれで一人残さず刺してやるからな!」

そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた警備員が到着。
その場でもめていた全員が逃げ出しました。
遠巻きにいたLarry ThompsonとTyree Cooperは一部始終を
固唾をのんで見守っていました。「シカゴ対ニューヨーク…!」


翌日。寝ておきたらTerry Hunterはすっかりどうでも良くなっていた。
しばらくするとKennyとToddも同じ場所にやってきました。
Toddは二人を見つけるも、我慢している様子。

Kenny Dope
「よう、お前昨日はすごかったな!お前みたいな奴はじめてだわ。
 レコード出してんなら俺の働いてるブルックリンのレコ屋で売ってやるよ!
 お前は芯の通った本物だ。電話番号教えてくんねえか」


なんとこの日を境にTerryとKenny、Toddはブラザーになったのでした。
めでたしめでたし。(Armando関係なくなっとるやん)


Todd Terry All Stars Feat. Kenny Dope, DJ Sneak,
Terry Hunter & Tara McDonald ‎– Get Down (2007)


※http://www.5chicago.comより

Land Of Confusion

80年代後半、ArmandoやTerry Hunter、Mike Dunnらは
レーベルオーナーBAM BAMの家に集まって曲を作っていました。
Mike DunnはTR-808を、ほかの誰かはTR-707を…といった感じで
機材を持ち寄りここからアシッドハウスの名曲が次々生まれます。

ある日Mike Dunnがハウスを作っていると、ArmandoがTB-303の
トラックを持ってきて、これもミックスして欲しいと依頼してきました。
そうしてできたのが彼のデビュー作「Land Of Confusion」です。


Armando ‎– Land Of Confusion (1987)

Mike Dunn
「きっかけは何だったか忘れてしまったんだけど、口喧嘩から
 ArmandoとK.Alexiがお互いの音楽をけなしはじめたんだ。
 Armandoが『お前の曲はクソだな、誰も聴かねえよあんなの』
 なんて言ったから、K.Alexiはキレてしまった。」※1
 
 K.Alexi
 『Land of Confusion?てめえのやったことは
  電池を抜いて戻しただけだろうが!最高のベースラインだな!』


Mike Dunnは親友であるArmandoに敬意を表しながらも打ち明けます。
この曲で鳴っているベースラインはプリセットの打ち込みで
電池を抜いて戻す、それしかArmandoはやっていないのでした。

ともあれ、この曲は初期アシッドハウスとして大ヒット。
シカゴのJR Recordsで働いていたArmandoはその売り上げを知り
自らもレーベル「Warehouse」を始めることにしました。


Armando - Confusion's Revenge (1988)
UK Jack Traxのアシッドハウスコンピに収録の別バージョン。
ボコーダーボイスから一気にアガる緩急がたまりません。


上の黄色い印がJR Records。


東大阪のシカゴに対して、摂津市あたり。かなり離れてますね。


「WE BUY GOLD」と書いている店の左側、小さい店舗です。(閉店)

※1 http://www.5chicago.comより

ラリー・シャーマン (シカゴ)


ラリー・シャーマンはシカゴにあるプレス工場「Precision Record Lab」
のオーナー兼オペレーターの中年白人男性。
「Fantasy」 「On&On」と立て続けに大ヒットを飛ばし
何度もプレスを頼みに来るVince Lawrenceに金の匂いを感じとりました。

「なあ、俺と一緒に組まねえか?今後プレス代は取らない。
 その代わり、儲けは折半でどうだ。俺はニューヨークに
 知り合いのプロモーターもいるぞ。」
※1

1.Jesse Saunders
Vinceの父がやっていたMitchbal Recordsはリリースが遅く
「Fantasy」の時もレコード発売にかなりの時間を要していました。
時間の勝負と考えたVinceとJesse Saundersはこの申し出を承諾。
はじめてのハウスレコードはデトロイト、ニューヨークでもヒットし
一週間で1万~1万五千枚、約500万円の売り上げで豪遊しました。


Fresh - The Real Love (1984)
味をしめたラリーは自らレーベル「Precision Records」をはじめます。
Jesseに別名義でいいから曲を作ってくれないかと頼んできました。
この曲はJamie Principle"Your Love"と同じ音で作ったので
JesseはJamieから嫌な顔をされてしまいました。

2.粗悪なプレス
何を出しても儲かる状態で、ラリーは欲を出し始めます。
彼は古いレコードを大量に二束三文で買い付け、リサイクルして
そこらに気泡や凹みのある質の悪い盤でリリースしだしたのです。
ジャケットも古いレコードから再利用する有様でした。


Le' Noiz - Get Out (1985)
Jesseはファンを失うことを恐れ、他のプレス先を探しました。
幸いにもロサンゼルスのWarrior Recordsを見つけた彼は
ラリーが新しく立ち上げたレーベルTRAXにLe' Noiz名義で
1枚だけリリースし、彼とのビジネスを絶つつもりでした。

3.Vince Lawrence
Jesseの自立により、不安になったのはVinceです。
楽器には詳しいもののミュージシャンでなかった彼は
Jesseのバンド「Jesse's Gang」のステージには立てず
生活のためにTRAXのA&Rになりたいと申し出ました。

彼はAdonis、Marshall Jefferson、Frankie knuckles
らに契約させることに成功。大活躍します。
Adonis
「ファックユー!メ~ン、いったいどういうことだ!
 自分で出すつもりだったのによ!」
※1
Marshall Jefferson
「Move Your Bodyは自分のレーベル用に頼んだんだぞ!
 何でTRAXからでてるんだ!」


Vince Lawrence、いったいどんな契約したんだ。

4.D.J.International
ラリーは次に、Rocky JonesのレーベルD.J.Internationalの
プレス下請けを開始。しかしここでも欲を出しました。
依頼を受けると、自分用に余分な数千枚ものブート盤を作成。
顔の広い彼はデトロイト、ニューヨークで売りさばきました。

ラリー・シャーマン
「3000ドルをアーティストに支払うとして、スタジオ代を
 抜いて渡せるのは1500ドルだ。それにしたって、1万5千枚
 売ってトントンってとこなんだぜ。UKでコンピなんかに
 まとめられでもした日にゃあ儲けが減るから、もっと必要だ。
 
 だけどそれだけの数を売って金を渡さないとアーティストとして
 やっていけない。小銭なんか後先考えずパーッと使っちまう
 連中だから、一文無しになっちまうんだ。」※2

5.Jamie Principle
Frankie Knucklesがクラブでプレイした"Your Love"が大ヒットの
Jamie Principleは、もうひとつのヒット曲"Waiting On My Angel"
をいよいよレコードでリリースしようかという段階でした。


Jamie Principle - Waiting On My Angel (1985)
これを聞きつけたラリーはさっそくあの手この手でアプローチ。
しかしすでに悪名が知れ渡っていたため、Jamieは別のレーベルから
リリースし、プレスも別の工場に依頼しました。

ラリーは金ヅルを手に入れられず激怒。適当な話を作り上げ
Jesse SaundersとVince Lawrenceに曲作りを依頼します。


Jesse Saunders - Waiting On My Angel (1985)
彼の依頼はWaiting On My Angelのカバーでした。
Vinceが新しい詩をつけ、Jamieの発売から24時間後にリリース。
レコード屋のコネクションを使って売りまくりました。


6.裁判
Jamieの曲をリリースしたPersona RecordsはLarryのやり方に怒り
すぐに著作権侵害による排除命令を申し立てます。これに対し
ラリー側の弁護士は反論。理由の無い取引制限だと主張しました。

判決はなんとラリーが勝利。「歌詞を新たにしたカバーソングは
オリジナルをキズつける物ではなく、オリジナルの発売から
24時間以上経過していれば著作権侵害にはあたらない」
という判例ができました。

負けたPersona Recordsは取引制限による損失補填まで
はらう羽目に。ともあれこれ以降、歌詞を変えたカバーは
オリジナル作者の許可無く作ることができるようになりました。

7.Your Love
Frankie Knuckles
「Traxに曲を奪われたことは、ちょっとほろ苦い経験なんだ。
 僕とJamieから曲を盗んだも同然だからね。彼等が僕たちの楽曲を奪って、
 我が物顔で使ったんだよ、あの馬鹿野郎どもが。
 Traxと共同契約した覚えなんて全くないんだ。Traxから発売された
 僕の音源には絶対にサインなんかしないよ。」
※3


Frankie Knuckles - Your Love (1987)
AdonisやMarshall同様、のちにJamie Principleの曲も
勝手にTRAXからリリース。しかもJamieより知名度のある
Frankie Knuckles Presentsというタイトルをつけて売られました。

本人がここまで怒っているのに、2004年でもなお
「Frankie Knuckles Presents His Greatest Hits From Trax Records」
というアルバムすら存在します。 もう、やりたい放題。



※1 一部ブラック・マシン・ミュージックより
※2 RA Playing favourites: Frankie Knucklesより
※3 Larry Sherman VS Peopleより

House Music: The Real StoryHouse Music: The Real Story
(2007/11/30)
Jesse Saunders
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Jamie Principle (シカゴ)



Jamie Principleはシカゴ サウスサイド生まれのアーティスト。
教会でドラムとクラリネットを演奏していた彼はニューウェイブに
影響を受け曲作りをはじめます。リズムマシンも無く、4トラックMTRで
作られたハウスの原型はクラブPowerPlant・元Warehouseの
有名DJ Frankie Knucklesへと渡りました。


Your Love (1984 - Release 1986)
「この曲はリサ・ハリスという彼女への思い、
 会いたいって気持ちを詩のように歌った曲なんだ。」
1982年のイタロディスコ、Electra"Feels Good"を下敷きにした
感情に訴えるロマンチックなハウスはクラブで大ヒット。
リリースは後になりますが、最初に世に出たハウスといわれています。


Waiting On My Angel (1985)
はじめてレコードでリリース。
リリース前の評判はものすごく、売れる予定でした。


Bad Boy (before 1986 Release 1988)
「大騒ぎして、何もかも忘れたいんだろ。
 さあ、1015に行ってめちゃくちゃになろうぜ」

1015=North Halsted Street 1015。
これはクラブPowerPlantの所在地です。


緑の下の方がWarehouse、上がPowerPlant。


東大阪から鶴見緑地へお引越しした感じです。


Baby Wants To Ride (1988)
何やらエロい歌詞のようです。

この後、彼はSteve "Silk" Hurleyらとヒット曲を作り
CeCe Peniston ‎– I'm Not Over Youでクラブチャート2位を記録します。
ヒップハウスの世界へようこそ
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