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Doug Lazy (ワシントン)


Doug Lazy (Gene Douglas Finley)はワシントンのプロデューサー。


Let It Roll (1989) 週間クラブチャート1位
80年代前半にSalsoul Recordsなどからディスコヒットをリリース、ハウスでも
"Break 4 Love" が有名なVaughan Masonのプロデュースでデビュー。
セカンド・サマー・オブ・ラブまっただ中のレイヴでヒットしました。
これを受けてすぐ後にSNAP! "The Power" C+Cが出てきます。



Let The Rhythm Pump (1989) 週間クラブチャート1位
こちらもUS、UK、ドイツで16バージョンも発売される大ヒット。



Can't Hold Back (1990) 週間クラブチャート5位
椅子でウトウトしていると「ビデオの撮影だ!」と起こされ
ブーティーな軍団のダンスに囲まれる。この空気こそがヒップハウス。
NewJackSwingっぽい音の選び方も当時の空気でたまりません。



H.O.U.S.E. (Re-Modelled mix) (1991) 週間クラブチャート1位
オリジナルも特徴的なシンセがかっこいいけど、こちらのRemixは
Kraftwerk "The model"をまんま使ったナイスミックス!
同年にはKraftwerk自身もハウスアルバム「The Mix」を発売しています。



Little Louie & Marc Anthony - Ride On The Rhythm (1991)
Atlanticレーベルつながりでしょうか、お洒落なハウスの間奏ラップ。
クセのない、どんなトラックにもあう声ですね。




現在、彼はKnockSquaredの名前でYouTubeのアカウントを持っていて
Native Instruments Maschineの作曲などを実況しています。この動画は
買った後必死で封あけるまでを中継したもの。ニコニコ動画か(笑)
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Todd Terry (ニューヨーク)

もともとBボーイだったアーマンド・ヴァン・ヘルデンが
ハウスに傾倒したのは、トッド・テリーのアグレッシヴな
カット&ペイストというスタイルへの憧れ、そしてジャングル・ブラザーズ、
タイリー(Tyree)やファスト・エディ(Fast Eddie)等アーティスト達により
台頭した80年代後半におけるヒップ・ハウスへの情熱がきっかけだった。

(K.S.R Corp. Armand Van Heldenより)

 
Todd Terry (1967.4.18~)はブルックリン生まれのハウスプロデューサー。
ヒップホップを大量に生み出した、治安の悪い地域の有名ギャングでした。

「小さい頃の夢は、自分の縄張りを支配することだった。
 そういう風に育てられたのさ。その縄張りのリーダーになって、みんな
 自分に従うか、自分より強い奴が出てきたら殺すっていう考えだったね。
 (中略)
 でも、もちろんそんなに物事は上手く行かないんだ。
 危険信号を受け取るまでは分からないことだけどね。
 そんな考え方は正しくないし、筋が通ってないんだ。」

 (Higher Frequency:Todd Terry interviewより)

成功するために犯罪より音楽を選んだ彼は
サンプリングを多用したヒップホップ風ハウスを生み出しました。


Royal House - Party People (1987)
Marshall Jefferson "The House Music Anthem (Move Your Body)"
のトラックに、Africa Bambaataaの声をサンプリング。
細かく切って徹底的に繰り返すボイスがシカゴっぽい。



Royal House - Can You Party (1988)
同じトラックを使い、多くのサンプルに置き換えたもの。
彼の得意な省エネ作曲法が始まります。ほぼ同じリズムで
どんどんヒットさせるという珍しいケースです。

主にヒップホップのアーティストに愛用された
当時できたてのサンプラー AKAI MPC60を使用。
モノラル最大13.1秒のサンプリングで頑張りました。


The Jacksons - Can You Feel it (1981)
タイトルから「Can You Party!」と思いきや実は「Can You Feel it」
ライブの始まりにあおってる聖火ランナーみたいな人の声なんですね。



Jungle Brothers - I'll House You (1988)
三たび同じトラックで発売。この曲はシカゴと並んでヒップハウスの代表曲。
DJ MIZUTA氏やDJ TASAKA氏などハウス~テクノDJに大人気です。

最後に入っている女性の声「This Is A Blank Formatted Diskette」は
Ensoniqのサンプラー、Mirageに入っている警告ボイス。



D.M.S. Featuring Von Black ‎– Don't Stop It (1991)
いつものリズムでカット&ペースト。彼の曲はフリースタイル調の
トラックに一部分だけ印象的なシンセのフレーズやサンプルを入れ、
その部分がいつまでも耳に残るものが多いです。
Swan Lake、Orange Lemon、Black Riotなど名義もいろいろ。



2 House ‎– Go Techno (1992)
私のイチオシ、Tony Humphriesとのプロジェクトで
当時の雑誌に「KLFのできそこない」と書かれた下世話なヒップハウス!
T・E・C・H・N・O、テクノ!テクノ!イエー!

Stacey Paton (オランダ)


Stacey Paton (左)(1969.1.31~)はオランダのラッパー。
身長183cm、靴26.5cm、日本の鉄板焼きが好物。



Turn Up The Music (1990)
幼い頃から音楽の才能を見つけられていた彼はプロデューサー兼
ラッパー兼ダンサーとしてさまざまなユニットを手伝い、
自作のヒップハウスをリリースします。


Wanna Know Where The Groove Is (1991)
売り上げこそ振るわなかったものの、業界で名前が売れ
1990年人気絶頂のTwenty 4 Sevenにサポートメンバーとして
加入、ヨーロッパツアーに同行することになります。
よく知らないまま参加した彼は、行く先々で有名になりました。



Twenty 4 Seven Feat. Stay-C And Nance ‎– Slave To The Music (1993)
翌1991年、メインラッパーCaptain Hollywoodが脱退。
2年間の活動停止に陥ったTwnty 4 Sevenは彼に白羽の矢を立てました。
一刻も早く再開したいプロデューサーにとって、ラップができて
顔の売れている彼は好都合だったのです。


その後、90年代後半には落ち目になってしまったTwenty 4 Seven。
彼は今時ユーロダンスはない、ポップな歌モノの時代だと主張しましたが
プロデューサーRuud van Rijenが速いユーロ命だったので
脱退とソロ活動を決意しました。



Stay-C Paton ‎– Blue (Da Ba Dee) (1999)
その年の夏、彼はプロデュースされる形で念願のポップソングをリリース。
1998年、Cher "Believe"によってヒットしたAutoTuneを過剰にかける手法で
南アフリカ、南アメリカ、日本でヒットしました。おそらくこの時に
日本の鉄板焼きを食べたんでしょうかね。



Eiffel 65 - Blue (Da Ba Dee) (1999)
まもなくして、この曲はプロデューサー自らEiffel65として
カバーすることになりました。こちらのバージョンは
世界中で大ヒットしヨーロッパ中でベスト1、2001年には
グラミー賞にノミネートされるまでにいたりました。

彼のバージョンは今現在、Wikipediaに全く載っていません(悲)
Wikipedia "Blue (Da Ba Dee)"
しかし儲かったみたいで、会社を設立したり、Twenty 4 Sevenを
再開したり、楽しくやっているようです。

MC Fixx It (オランダ)

MC Fixx It (Ricardo Overman)はオランダのラッパー。


Rock The Discotex (1990)
彼はTwenty 4 Sevenの元ラッパーで、BCMの意向により外れましたが
そのプロデューサーRuud van Rijenのレーベルからデビュー。
ピアノにシカゴ譲りの間とボイス、オケヒットなどツボついてきます。



Let's Move (1990)
耳に残る度がかなり高いヒップハウス。彼のラップは
Twenty 4 Sevenよりこういうクセのある曲のがあってますね。



You Can Love It (1991)
M.F.S.B.- Love Is The Messageネタ。AllStar Fresh作。
ベースのグルーヴがかっこいい。アーリー90'sハウスが
好きな人にはたまらない感じです。

その後、イタロハウス~ユーロダンスプロジェクト、Capellaの
プロデューサーGianfranco Bortolottiに起用されます。



Capella - U Got 2 Know (1993)
SL2のボーカリストKelly OverettとラッパーRod Bishopのユニット
CapellaがTop of The Popsに出演した際、なぜかラッパーが
彼に代わっている珍しいバージョンです。もうラッパーというか
ボイスサンプル連呼としての役割(泣)


Anticappella Feat. MC Fixx It - Move Your Body (1994)
Twenty 4 Sevenの時と同じでしょうか。彼はCapellaと同じ
プロデューサーにより、Anticapellaとしてラップすることになりました。


いつもメインのラッパーにはなれなかったけど、裏で本家より
かっこいい曲を出してしまう彼の生き方、かっこいいですね。

Captain Hollywood (ドイツ)


Tony Dawson Harrison (1962~)はアメリカ・ニュージャージー州生まれの
ダンスプロデューサー。デトロイトで育ち、米軍の一員としてドイツの
ニュルンベルクに滞在、そのままドイツで音楽活動をスタートします。


Captain Hollywood Breakdance Formel Eins (1983)
彼はヨーロッパでいち早くブレイクダンスを始めたことで有名になり、
制服のまま踊っていたためCaptain Hollywoodというあだ名がつきました。



Beat Street (1984)
80年代のブルックリンを舞台にしたヒップホップカルチャー映画。
カンヌ国際映画祭で紹介された際にはドイツ代表として参加しました。



C.C.Catch - House Of Mystic (1988)
ダンスの腕を買われた彼は、La Toya Jackson、Kim Wilde, Natalie Cole
などの振付師としても活躍。C.C.Catchのバックシンガーも勤めました。
さすが元軍人、マッチョですね。



More and More (1992)
その後Twenty 4 Sevenのリーダーとして有名人になった彼は
ソロプロジェクトに戻り、曲をリリースします。
この曲は大ヒットし、ドイツで1位、アメリカでも17位を記録しました。



Impossible (1993)
翌年にはBPMの速いユーロダンスになっています。このPVの世界観、何(笑)
その後はTwenty 4 Sevenと同様、徐々に売れなくなっていき
1997年には故郷のアメリカへ戻りました。



Captain Hollywood - Welcome to my Youtube Channel
本人がYouTubeのアカウントを持っており、最近の曲をアップしています。
この挨拶動画では、俺の真似をして踊ったビデオを送ってくれ。
返信用切手を添えてくれた人にはCDプレゼント!という
楽しい企画も始まっています。良い人そうだなー。

Twenty 4 Seven (オランダ)

Ruud van Rijen (1964~)はオランダのDJ/プロデューサー。
故郷の有名DJ、Ben Lieblandのラジオプレイに影響を受け
DJと曲作りをスタートします。


Drivin' Force - Rock This World (1988)
サンプルの使い方とボコーダーのかっこいいこの曲は
いきなりオランダのクラブチャートで10位を記録しました。
ヒットを確信した彼は、次にラップ入りの曲を作ります。

1989年、ラッパーMC Fixx itを起用しボコーダーのヒップホップを
作ったところオランダのクラブチャートに7週間、最高29位を記録。
しかし、それ以上は上がる気配がなく、このまま終わりそうでした。


Twenty 4 Seven Feat. MC Fixx It - I Can't Stand It (1989)
当時大ヒットしていたTechnotronicにヒントを得て
彼はこの曲をヒップハウスにリミックスします。ボコーダーの替わりに
若干15歳の女性シンガーNancy Coolenを、ダンサーにHanks&Janksの
二人を起用しダンスグループTwenty 4 Sevenが生まれました。
オランダのクラブチャートで16週、最高7位を記録。



Twenty 4 Seven Feat. Captain Hollywood - I Can't Stand It (1989)
これはいける、世界へ向けて発売しようとしたところ
BCMレコードから条件を出されました。MC Fixx Itの声が不明瞭で
聞き取りづらいので、はっきりしたラッパーに替えて欲しいと。
そこでラッパーCaptain Hollywoodを新たに起用、新しい歌詞になり
ヨーロッパで大ヒット。UKシングルチャートで7位を記録します。



Twenty 4 Seven Feat. Captain Hollywood ‎– Are You Dreaming? (1990)
UKでヒットといえば、おなじみTop Of The Popsにも出演しています。
前作と同じヒップハウス路線で、こちらはUKチャート17位になりました。


面白くないのはMC Fixx Itです。彼と二人のダンサーHanks&Janksは
1990年に脱退、翌年にはCaptain Hollywoodも彼と口論の末
グループを去ってしまいます。(ダンサーとHollywoodはその後も仲良し)
ラッパーがいなくなり、新曲が出せなくなったTwenty 4 Sevenは、
2年間の休止を余儀なくされました。



Twenty 4 Seven - Slave to The Music (1993)
それから2年後、ラッパーStacey Patonが加入しユーロダンスになって復活。
ドイツのチャートで8位を記録しました。


その後、1996年にはNancyがソロ活動のため脱退、元メンバーが
誰もいないWANDS状態になってもしぶとく活動を続けたものの
1999年「NeNe」はついにオランダのチャートにすら入りませんでした。




Rockz, Twenty 4 Seven, Ruud Van Rijen - Slave To The Music Reloaded (2012)
…が2007年と2010年に復活、ラッパーStacey Patonも再び
帰ってきたりしてもうよくわかりません。生涯現役!がんばれ!

ヒップハウスは短命?

(93年頃)パラダイスガラージ=NY信仰とナックルズ、モラレスらの
DEF MIX信仰に当てはまらない、シカゴハウス、ヒップハウス、
フリースタイル上がりのラテン、プエルトリカンのNYハウスは
自分の周り意外、見事なまで不人気だった。

(Marginal Recordsブログより)

ヒップハウスを調べていると、「あっという間に廃れた」
というのをよく見かけます。おそらく、TechnotronicやMr.Lee、
M.C.Hammerのダンスブームが一緒くたにバブルの思い出として
華やかな記憶=ヒップハウスになっているのでしょう。

しかし実際のチャートを見てみると
Cookie Crew - Rok Da House (1987) UKチャート5位
T99 - Anastasia (1991) UKチャート14位
と5年ものあいだ、世界的に影響を与えています。

今回は、この期間に日本ではどんなことがあったかを見てみましょう。

1.映画

私をスキーに連れてって (1987) スキー
彼女が水着にきがえたら (1989) スキューバダイビング
波の数だけ抱きしめて  (1991) ミニFM
バブルの象徴、ホイチョイプロダクションズがこの時期です。

2.お笑い

4時ですよ~だ (1987~1989)
夢で逢えたら (1988~1991)
ダウンタウンが4時ですよ~だを開始したのが1987年、
東京進出してごっつええ感じスタートが1991年。

3.音楽

1stアルバム「The Blue Hearts」 (1987)
2ndアルバム「Young and Pretty」(1987)
3rdアルバム「Train-Train」    (1988)
4thアルバム「Bust Waste Hip」 (1990)
5thアルバム「High Kicks」    (1991)
ブルーハーツがメジャーデビューして5枚のアルバムを
次々にリリース、大ヒットしていたのがこの時期。

4.プロレス

たけしプロレス軍団登場 (1987)
前田日明解雇 (1988)
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也が闘魂三銃士結成 (1988)
「時は来た!」(1990)
第1回G1 CLIMAX開催。蝶野正洋が優勝、人気を得る(1991)

5.漫画

燃える!お兄さん (1987~1991)
ドラゴンボール 桃白白(1987)~フリーザ終了(1991)


6.ゲーム

ファミコン ドラゴンクエスト2 (1987)
ファミコン ドラゴンクエスト3 (1988)
ファミコン ドラゴンクエスト4 (1990)
ファミコン ファイナルファンタジー3 (1990)
スーパーファミコン ファイナルファンタジー4 (1991)



どうでしょう。バブル時代の濃厚な5年間、
すぐだなと思うもの、長く感じるものないでしょうか。
5年間流行り続けるって、結構すごいことです。
ヒップハウスの世界へようこそ
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