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KC Flightt (ニューヨーク)


KC Flightt (Frank Toson Jr.)はNYのラッパー。


Let's Get Jazzy (1987)
UKのCookie Crew"Rok Da House"と同年、Fast Eddieより早く
ヒップハウスをリリースしています。ミックスは後のハウス大御所Blaze。



Summer Madness (Love Is In The Air Mix) (1989)
マドンナの曲も手がけるDJ、Mark Kaminsによるリミックス。
ブレイクビーツとアシッドがうまく融合したすばらしい作りです。



Planet E (1989)
こちらが大胆な問題作!USポスト・パンクTalking Headsの80年作
David ByrneとBrian Enoがアフリカン・ポリリズムに挑戦した
4thアルバムの曲をまるまる使いました。その曲がこちら。

Talking Heads - Once In A Lifetime 投稿者 hushhush112
Talking Heads - Once In A Lifetime (1980)
上物がJamie Principle "Baby wants to ride"
に差し替えられてるのもニクイですね。


Jump For Joy (Black Box Remix) (1991)
イタロハウスのBlack Boxがリミックス、能天気度がアップした
イケイケヒップハウス!当時っぽいシンセの音がたまりません。

この曲は現在レゲエ、当時はNU GROOVEからハウスを出していた
Bobby Kondersによるしぶいバージョンもあります。
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ビタミン軍団

いつものようにDiscogsでヒップハウスを調べていると
なんだか気になるアーティストがいました。


Vitamin C - The Chicago Way (1990)
ビタミンC:コラーゲンの生成を助け、血管や皮膚、粘膜や骨を強くし
風邪などの原因となるウイルスが侵入するのを防ぐ。
野菜や果物に多く含まれるが、熱や空気に弱い。

いい曲ですが、なんでこんな名前やねん。
ヒップハウスでみんなを元気に!ということでしょうか。



Vitamin B - A Headache (1991)
ビタミンB:ビタミンB群は、それぞれ助け合いながら、脳や神経、皮膚などの
健康を保つビタミン。加熱すると成分の3割~5割を失ってしまう。
B1・B2はレバーや豆類、B6・B12はレバーや魚類に含まれる。

Martin "Boogieman" Lunaの変名。ビタミンBというユニットなのに
曲名は「頭痛」。最近足りてへんわー思てたんかな。



Vitamin A - Chemical Reaction (1985)
ビタミンA:「目のビタミン」といわれるほど、目との関係が深いビタミン。
目や粘膜、皮膚の健康を保ち、成長を助け、病気の回復を助ける。
レバーに含まれるレチノールと緑黄色野菜に含まれるカロテンの2種類がある。

Hiphopにもいました、ベースプレイヤーAaron Millsの変名。
「ビタミンは消化や吸収、分解、合成などの化学反応(Chemical Reaction)
を助けるぜ!」とは歌ってないと思います。



Vitamin D vs Sudan Freestyle MC Battle
ビタミンD:カルシウムの吸収をたすけ、筋力の維持に役立ち
骨や歯をつくる。太陽の光を浴びることで体内でもつくられる。
魚介類(特にまぐろやかつお)、卵類、きのこ類などに含まれる。
シカゴのフリースタイル勝負、もりあがってますね。
ビタミンD名義は大人気で、この他にもラテンハウスガバヒップホップなど
有名なアーティストが多くいます。丈夫なんでしょうね(何が)。



Vitamin E - Newsroom (1977)
ビタミンE:抗酸化作用があり動脈硬化や老化、がんの予防に効果がある。
ヒマワリ油など植物油に多く含まれるが酸化しやすいため、
ドレッシングなど、加熱しないでそのまま食べるのがおすすめ。

ものすごくかっこいいディスコ!正直、ふざけた気持ちで探っていたので
こんなかっこいい音楽につぎつぎ出会えるとは思いませんでした。
このアーティストはMUROさんのMIX CDにも使われています。


ダンスミュージックに、こんなにもビタミン名義がいるとは意外でした。
2001年ドイツのコンピに唯一確認されているシンセポップアーティスト
「ビタミン寿司」はどんな奴なんだろう。板前っぽいのであって欲しい。

K-Alexi (シカゴ)

古タイヤをリサイクルしているという噂を呼んだ
盤質が最悪なTraxの12インチをプレスしていた犯人は彼です。

(goo音楽 K-Alexi Shelby より)


Keith Alexi ShelbyはシカゴのDJ。Joe SmoothやMike Dunnらと
ハウスの起源になったクラブ"Warehouse"の再開を支えました。

彼はMr.Leeのいとこで、10代の頃に影響を受けDJや曲作りを始めます。
二人ではじめて作った曲は、ヒップハウスでした。


Risque Rythum Team - Risque Rythum (1986)
「一晩でアルバムを仕上げた。すごく興奮してた。金の事なんて
 全く関係なかったよ。レコードを作れることがとにかく嬉しかったし
 女の子にモテて有名になれればそれでよかったんだ(笑)」



K.A.Posse - Dig This (K.A. After Hours Mix) (1989)
女性ラッパーMCD-Tayとのヒップハウス。
裏面のBar Mixが後のテクノに通じる走ったリズムで最高です。


K.A. Posse - Shake (1990)
どっしりした低音のグルーヴ、暗い雰囲気が
たまらなくかっこいい漢のヒップハウス。


一方、同時期の1987年にデトロイトではDerrick Mayがデビューし
シカゴとは違う「テクノ」が生まれました。


K. Alexi Shelby - Medusa (1989)
Derrick Mayのレーベル、TRANSMATの8番。
もうミニマルテクノの形が出来てますね。

「Derrick Mayが俺のレコードは良くないから売れないんだって
 言ってたな(笑)彼のことはビジネスマンとしてリスペクトしているよ。
 でもArmandoとかRon Hardyは俺のレコードをプレイしてくれたからなぁ」


K-Alexi Shelby ‎– Do It 4 Me (1990)
翌年、Rythim Is Rythim ‎"Move It"を華麗にパクっています。



Mind Control Music - M.C.M. (1991)
1996年、Jeff MillsのMix-Upで有名になりました。


★音楽以外に興味のあることってあります?
「ビデオ・ゲーム。Marshall Jeffersonと俺がハマりだして
 周りのみんなもやるようになった。セガサターン、
 スーパーニンテンドー、CDロム、3DOなんでも持ってるよ(笑)」

★初めて買ったコンピュータって何ですか?
「アタリ2600」

★いつもどのくらいゲームしてます?
「手が痛くなるまで。ごはんも食べないし電話にもでない(笑)
 子供が泣き出したらさすがにやめるけど、あとは全部無視だな(笑)
 一日中やってられるよ。勝つのが好きなんだ。」

(インタビュー部分はLOUD11号より)

Martin "Boogieman" Luna (シカゴ)

Martin "Boogieman" Lunaはシカゴ サウスサイドのDJ。
9歳から15歳までメキシコで育った後、シカゴに戻り1982年にDJをはじめ
89年頃からWGCIでHotmix5のゲストDJとして出演していました。

Boogieman
「私を含め、Farley "Jackmaster" Funkの周りにいた連中はクラブの評判を
 噂するとき、よそ者を排除した。Frankie Knucklesがニューヨークから
 やってきて愛されたけど、俺らのまわりだけはボロカスに言っていたね。」


87年、友人宅でシンセと909を触ったことをきっかけに
Mix Masters名義で曲作りを開始します。


Mix Masters Featuring M.C. Action - It's About Time (1989)
Public Enemy "Bring the Noise"と同じMarva Whitneyネタのヒップハウス。


Mix Masters Featuring Andrea ‎– How Low Can U Touch Me (1990)
Tyreeが地響き音を入れてFast Eddieがラップしたいつものシカゴ。
彼はピアノを取り入れたきれいなハウスも作れ、B面にはそういう
バージョンも入っているのですがシカゴではA面はこっちです。



Mix Masters - In The Mix (1990)

そのきれいなバージョンがついに日の目を見ます。
ニューヨークのDJ、Junior VasquezがSound Factoryでプレイ、
アンセムとなってUKにまで飛び火するほどの大ヒットになりました。
Sound FactoryといえばFrankie Knucklesも関わったクラブ。
なんとも皮肉な話です。


マドンナが1991年に公開した映画「TRUTH OR DARE」
(アメリカ以外では「IN BED WITH MADONNA」)でも
楽屋でバックダンサーと踊るシーンに使われています。


Mix Masters - In The Mix (Boogie Man's Mix) (1990)
B面はバージョン違いどころじゃない暗黒ヒップハウス。
例のごとく地響きがドスドス鳴っています。



Cool House - Rock This Party Right (1988)
Tyreeとのユニット、Cool House。
シカゴ好きにはたまらない、アシッドハウスの裏ヒットです。

Renegade Records (シカゴ)

Renegade Recordsはシカゴ ウエストサイドのレコード屋のレーベル。
UCやIHRと同じく、To Kool ChrisとDJ Insaneが関わっています。
それではさっそく位置を確認してみましょう。



左の三つ。上からUC(赤)IHR(黄)Renegade(ピンク)


大阪でいうと堺の工業地帯にあたります。

このレーベルは、80年代のレジェンド達をひっぱりだし
DJ Insaneがハードハウスにリメイクしたものが多いです。
今ならブートEDITですが、当時は公式にRemixして盤にしていたんですね。


The Fastman - I Want You Girl (1992)
D.J.International末期、シンプルすぎてあまりぐっとこないこの曲が


Fast Eddie - I Want You Girl (Hip House Inferno Mix) (1998)
見違えてカッコイイヒップハウストラックに!



Farley "Jackmaster" Funk - Godfather (1996)
1990年クリスチャンになり(何があってん)めっきり穏やかな曲を作っていた
HotMix5のレジェンドも再び超ファンキーに!



P-Jay - Feel The Bass (1998)
この声はPowerful Jouvenile?!



Kool Rock Steady and To Kool Chris - Return Of The Bass (1996)
元気の無かったKool Rock Steadyもひさびさのハードなラップ!



DJ FUNK - Work That Body (1997)
90年代組もヒップハウスに。DJ FUNKのビリージーンネタ!




Fast Eddie's Greatest Hits Mix
レジェンド愛が高じて、ついには2000年にFast Eddieのベストを出すという
暴挙に出ます。MegaMixはもちろんTo Kool Chris!
原曲の良さを200%引き出しています。iTunesでも買えますよ。

Rockin' House

あの使いにくさをローランドの開発者も認める筋金入りのTB-303を
ちょいとカルチャーしに来た10代後半の女の子が使いこなせるわけもない。
(中略)こうしてTB-303は廃品種となり、大量の不良在庫を抱えた社員達は
泣く泣くそれらを夢の島まで捨てに行ったそうである。

(おとなのためのアナログシンセ秘密基地計画 悲しみのTB-303より)

Rockin' Houseはシカゴ・サウスサイドのレーベル。
オーナーのRodney Bakerrは Jimi Hendrixを聴いて育ち、専門学校で
絵画と電子音楽を学びました。パンクとニューウェーブに出会った彼は
Bad Brains, Talking Heads, Siouxsie & The Banshees, The Normal
を好み、自分でもバンド「Strange Circuits」を結成。

やがて専門学校の先生になったある日、学生がハウスを聴いていました。
「すごい音楽だ!これなら俺でも出来る。よし、レーベルだ!」
思い立って即行動の彼は、さっそく生徒にリリースさせます。

Terrance Woodard - Jack The Box (1987)
サウスサイドの専門学校生レベル高い!

彼はレーベルのアーティストにレンタルスタジオを無料開放しました。
自由に出入りさせ、週に一度訪れては良いものを選び、進行。
スタジオのお金を払って、週末には完成したものを聴きにくるのです。
(データ管理が適当だったためにVideo Crashが盗作されましたが…)


黄色(黒点なし)がレーベル、紫がスタジオの場所。


柏原からハーベストの丘へ遊びにいく感じ。


Kenny K Collins - Beat My House (1987)
Laurent Garnierもプレイした風呂の鼻歌風ゆったりボーカル。
アシッドをTB-303のことではなく、エフェクトと捉えているのがいいですね。

彼は宣伝の一環として、1987年発行のローランド・ドラムマシン大辞典
という本にリズムパターンを投稿。シカゴで行われた楽器屋向け展示会では
ローランドブースを訪れ、TRシリーズがいかに流行っているかを語りました。
しかしローランドの社員は、ハウスを知らなかったのです。

さっそくローランドは社員をシカゴへ派遣。レーベルのアーティストに
取材を申し込み、ハウスの作成現場を見せてもらいました。
そして彼にTR-808とTR-909のリズムパターンを依頼したのでした。


Rodney bakerr & the rocking house chicago mob - pump the bass (1989)
スピード感あるアシッドハウス。B面にヒップハウスもあり。


今でも、彼はギターを弾き、専門学校で芸術を教えています。
学生たちは今、JUKEやGhettotech、Footworkに夢中です。

Bakerr
「Footworkはクラブがなくても、コミュニティで根強い人気がある。
 うちの学校でも、ダンスバトルをしたチームを知っているよ。」

その学生はEddie“Pause Eddie”Martin
あのFootworKINGzのメンバーです。

Video Crashの謎 2013

1.Marshall Jefferson

Marshall Jefferson
「あの曲を作っていたとき、Lil' Louis、Kim Mazelle, Sterling Void達がいた。
 Kimは曲に合わせて適当に歌い始め、セッションのような感じだった。
 Lil' Louisは私のすぐそばにいたし、Fast Eddieは隣の部屋に住んでいて、
 いつもRon Hardyが新曲をいち早くモノにするのを悔しがっていた。」



Lil' Louis - Super Clash (Rework)
オープンリールに残っていた未リリース物を近年EDITしたもの。

「Lil' Louisが5000人以上のキッズの前でDJするというので、
 セッションのデモを渡したんだ。あいつはわざわざ
 家でKimのボーカルを抜いたバージョンを作っていた。」

2.Tyree Cooper

Fast EddieとTyreeは仲良し。



Tyree Cooper - Video Crash (1988)

Rockin' Houseのオーナー、Rodney Bakerr
「Tyree Cooperが家にやってきた。ちょっとD.J.Internationalともめていて
 レコードがリリースできないから、うちから出してくれないかと言う。
 (M.J.)という意味深な言葉を入れて、すぐに出して欲しいと。」

3.Mike Dunn

左がMike Dunn。

Mike Dunn - Magic Feet (1988)

Rockin' Houseのオーナー、Rodney Bakerr
「私は、自分の曲作りをアシストしてもらうため、Mike Dunnを雇っていた。
 だが、どうも彼とTyreeは争っていたみたいなんだ。
 『部屋を出るときにデータをリセットしないほうが悪い』とか。
 何かあったのかな?」

4.Lil'Louis


Marshall Jefferson
「Lil' Louisは2曲のリリースに焦っていた。俺のところへ来て
 オリジナルバージョンを出してほしい、本当の作者をわからせてくれと言う。
 だけど今出したら、俺もパクリ野郎の一人に思われてしまうだろ。
 もうこのことは忘れるよと断ったんだ。すると奴は
 じゃあもういい、俺がやってやると去っていった。」


Lil' Louis - The Original Video Clash (1988)
“Often Imitated Never Duplicated” 
(しょっちゅうパクられるけど、本物は違うぜ)


Marshall Jefferson
「Lil' Louisに俺の名前が書いてねえ!と詰め寄ったら曲の権利を返してきた。
 お金はもらわなかったけど、パクリ野郎たちへの牽制にはなったかな。」


M.J.の文字を入れていたTyree、さすが。
先んじたTyreeのVideoCrashは大ヒットし、儲かったかと思いきや…

5.Rodney Bakerr

Tyree - Video Crash (Dub Mix) (1988)

Rockin' Houseのオーナー、Rodney Bakerr
「Tyreeのレコーディングを見ていたらうずうずしてきてね。
 彼に無許可で、B面にパーカッションとギターを入れたんだ。」

「ニューヨークで"Acid Crash"という名前をつけたブートが売れた。
 東海岸の人たちは、この曲をそんなタイトルだと思ってるんだ。
 おかげで、俺たちはあまり儲からなかったね…。」


6.残された謎

・Marshall Jeffersonが元のバージョンを作る以前、86-87年に
 シカゴのDJ Shaun Hardisonが高校のバスケットチーム用に
 作っていて、それがたまたまシカゴのラジオで流れた説。

・ベルギーのNewBeatアーティストが原型を作っていた説

Dr.Phibes - Acid Story (1988)

7.天然

D.J. Funk - The Original Video Clash (1995)
「速くしたら超カッケーーー!」

To Kool Chris (シカゴ)


To Kool Chris (Chris Chudzik)はシカゴのDJ。
80年代後半、BadBoyBill周辺で活動をはじめます。


Dont Stop (1991)
Powerful JuvenileのMC入り、ブレイクビーツ・ヒップハウス。
この人のMCがあればだいたいかっこいいですね。


What Happened To The Beatles? (1992)
ビートルズに何が??。D.J.International終了間際、迷走している
デス・ヒップハウス。Human Resource"Dominator"以降、ヒップハウスが
デステクノに取って代わられていく時期だったのでしょう。


1990年、International House Recordsのリリース停止に続き
1993年、D.J.Internationalもアナログリリースを終了。

シカゴ中心部ではDance Maniaが50番~80番を立て続けに発売、
ReliefからはGreen Velvet"Flash"が日本でも大ヒットしていた頃で
ヒップハウスはなくなってしまったように見えました。


しかし、彼は動いていました。IHRとおなじく西部のはずれにあり
1993年に出来たばかりのレーベル、Strictly Hype Recordingsをたずねます。
テクノファンにはおなじみ、Underground Constructionの親レーベルです。


左の二つ。黄色がIHR、赤がUC。


鳴尾浜のIHR、阪神競馬場のUC。


Work Your Body (1994)
UCの特徴的なガバを通過したキック、デステクノ調のシンセ。
ヒップハウスはハードハウスに生まれ変わりました。



The Rebel (1995)
そしてついに、IHRも彼の曲をスタートに復活します。

あるときはレジェンドFastEddieのリリースの場として。
UCからはDJ BAMBAMやDJ Insaneを、
Dance ManiaからはPaul JohnsonやDJ FUNK、Waxmasterを招いてリリース。
そうした活動が実り2000年頃Angel AlanisHatirasによる
大胆な展開のフィルターディスコが世界的に大ヒットします。

International House Records

International House Recordsはシカゴのレーベル。
Bad Boy BillとMike "Hitman" Wilsonによって1987年に作られました。


シカゴのレーベルとはいえ、中心部からはかなり外れています。(黄色)


大阪でいうと東大阪のシカゴに対して、鳴尾浜ぐらいの位置になります。
このレーベル、80年代のリリースは名曲だらけなので見ていきましょう。


Fantasy Club Featuring J.R. - Mystery Girl (Set Me Free) (1987)
D.J.Pierreとレーベルの二人が共作、Steve "Silk" Hurleyも参加。
エンジニアはNOKKOさんの旦那、GOH HOTODA氏!



Bad Boy Bill - Are You The One? (1987)
こちらもGOH HOTODA氏がミックス。メインはきれいな歌物ですが
B面の3曲目"Bad Boy Track"が全然違うボイス連呼でかっこいいです。
80年代のシカゴは隠れたところにエグいバージョンがあります。



Mr. Lee - Rock This Place (1988)
Mr.Leeがソロでヒップハウスっぽいことをはじめてやった曲。
このシングルはUK, フランス、スウェーデンでも発売されました。
これを受けてPUMP UP LONDON、JIVEでヒップハウス路線へと進みます。



Maximum Strength - Rock This Party (1989)
BadBoybillによるノリの良いヒップハウス。
頻繁にDJや各国の名前が出てくるので、大したことは言ってなさそう。



Mix 'N' Tel ‎– Feel The Beat (1990)
こちらもBad Boy Billによる、ハードコアな雰囲気がたまらないヒップハウス。


名義を毎回変えるのが謎なのですが、当時BadBoyBillは
無許可MIXテープが売れに売れたせいでアメリカレコード協会(RIAA)
に目をつけられており、そのせいかと思います。

Mike "Hitman" Wilson (シカゴ)

Mike "Hitman" WilsonはシカゴのDJ / プロデューサー。
Bad Boy Billとともに第2期HotMix5を盛り上げました。



Chicago Hot Mix Mike Hitman Wilson WBMX 1988
昼食時に「Hot Lunch Mix」と題してミニMIXを放送。
どんだけ熱いランチタイムやねん。



Bango Acid (1988)
彼はBad Boy Billと並んでボイス連呼モノを好み、耳に残る曲を作っています。
また、この時代のアシッドハウスは作ったもののリリースにいたらず、
コンピで初お目見えするものが数多くありました。



House Gang - House People (1988)
Vol.5まで続くHittraxシリーズ。単品で聴き続けてもしょうがない
部品的なボイスモノ。これはHotMix5流のかけ方で生きてきます。



Dada Nada - Haunted House (1989)
ガラージヒップハウスのB面でやりたい放題のアシッドハウス!
ビルボードクラブチャート5位を記録しました。
4位のMaurice - This is acidはこの後連続1位をとりますので
1989年は前半アシッド、後半からヒップハウスの年だったことがわかります。

ちょっとディストーション気味の分厚いTB-303はこの時代に珍しく
後のハードフロアーにも大きな影響を与えました。



Kream – Like This (1989)
監修したヒップハウス。彼はB面でハウスバージョンを頼まれている
ことが多く、目立たない位置でいぶし銀的な手腕を発揮していました。


Shawn Christopher - Another Sleepless Night (1990)
積み上げた経験はボーカル物を生かすのに役立ちました。
チャカカーンのバックシンガーで、Lil Louis - French Kissの声こと
Shawn Christopherの曲をプロデュース、これが大ヒット。
ビルボード総合チャート67位、UKシングルチャート50位を記録しました。

Bad Boy Bill (シカゴ)


Bad Boy Bill (William Renkosik)はシカゴのDJ。


WBMX 1988 - Freestyle House - Acid
1985年、Farley "Jackmaster" Funkにゲスト起用されたのをきっかけに
ラジオでDJMIXをはじめます。のちにWBMXでMike "Hitman" Wilsonや
Julian "Jumpin" Perezらと第二期HotMix5として活躍しました。



Hot Mix 2 Side A 1989
1987年、彼はそれまでなかった大量のMIXテープ販売を思いつきました。
HiphouseとFreestyleで作られ、レコード屋で販売された
MIXテープはたちまち話題になり、他のDJも真似しはじめます。



1989 DMC Battle
シカゴで有名になった彼は、DMCにも出場しました。
あまり乗り気じゃなかったのですが、シカゴ代表として出るはめになり
ラストは第三の手を使おうとして追い出されています(笑)さすが。



White Boy Mike & The Strength - How Do Ya Feel (1988)
自身のレーベル、IHRからリリースされたヒップハウス。
クイックミックスで使いやすいように、派手な展開のない作りですね。



Dada Nada - Deep Love (1990)
ビルボードクラブチャートTOP5を記録したシングル。
大御所Frankie Knuckles & David MoralesがA面で正統派ハウスを
やっている裏で、彼はHip House Mixを作りました。前後のチャートを
見るとヒップハウスだらけの年なので、むしろこっちがメインかも。
ヒップハウスの世界へようこそ
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