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愛された笑顔

「もしもし、Armandoは今病院にいる。会いにきてくれないか」

Mike Dunn
「最初は彼の状態を知らなくて、病院へ送った人からの連絡で知ったんだ。
 Armandoはカトリックだった。病室に着いたとき、牧師が部屋を出ていった。
 『まだお若いのに…』
 
 部屋に入ると…なんてことだ、顔は膨れ上がり、足も…ベッドを見ると
 「彼の容姿については言わないでください」と張り紙がしてあった。
 自覚はなかったのだろう。俺は座り、話をして、お祈りをした。

 部屋を出て、俺は泣いた。信じられなかったんだ。

 
 ひと月がたち、病状はだいぶよくなったようで、再度病院を訪れた。
 見た目にもはっきりと良くなっていて、まだ張り紙はしてあったけど
 腫れはすっかり引いていた。彼はか細い声で話した。
 
 『やあ、Mike…君がWarehouseで…
  "Freaky Muthafucka"をかけてたって聞いたよ…
  みんなクレイジーに踊ってたってね…俺もはやく聴きたいな…』

 
 順調に回復したので彼は退院し、家で話もできていた。
 俺はドイツへDJに行って、そのまま乗り継ぎでニューヨークへ
 Byron Stingily "Get Up Everybody"のビデオ撮影へ向かった。
 すべてはうまくいって、彼も良くなっているはずだった。


Byron Stingily - Get Up Everybody (1997)
 
 俺とBig Ed、Ronは車で帰っている途中だった。猛吹雪の中を運転し
 シカゴの近くまで来たとき、電話が鳴った。Big Edが電話に出て、
 あとはみんな音楽を聴いてたんだ。電話の相手はTerry Hunterだった。
 何を話してるのかはわからない。彼は受話器を置いて言う。
 

 『音楽を止めて聞いてくれ。Armandoが亡くなった。』


 俺は思わず車を降りた。外へ出て、歩きながら叫んだ。
 『嘘だ、嘘だ。帰ってくるまで待ってるって言ったじゃないか。
  帰ってくるまでって…』


 家に帰り、安置所についたのは5時だった。葬式は7時から始まった。
 俺は座り、立ち上がる気力もなかった。彼の両親はカトリックなので
 教会で準備されていた。俺は行きたくなかった。彼を見たくなかったんだ。

 彼と最後に電話で話したときも、明るい口調で話してた。
 ドイツに行くから、帰ってきたらまた遊びに行くよって…」


Terry Hunter
「病院へ行ったとき、俺は彼を直視できなかった。
 彼は物を食べられなくなって、自力でフォークすら持てなかったんだ。
 それでも、俺達の前では笑顔でいようと努めてた…。

 彼が亡くなって、俺たちは胸に穴が開いたようだった。
 若かった俺は、どうすればいいかわからなくて
 Mikeと棺の前で抱き合った。あいつも同じだった。
 『なあ、俺たちはずっと一緒だったよな、一緒にやってきた…』」


Farley "Jackmaster" Funk
「深い悲しみの日々だった。
 俺は彼の病気を知ってからカトリックになったんだ。
 欠かさずお祈りをして、彼を元気付けようとした。」


Paul Johnson
「彼とはすごく仲が良かったけど、何もできなかった。
 入院中、まわりはみんな会いに行っていたんだ。
 『Paulは?Paulに会いたいな。』ってずっと言ってたって。
 
 でも、申し訳ないが行けなかった。
 ずっと車椅子の俺が行って、何を励ませるっていうんだ。

 亡くなったのを聞いたときも、顔は見れなかった。
 彼の思い出をその顔にしたくなかったんだ。いつも笑っていて、
 くだらない冗談を言う、いつもの彼の顔のままにしていたかった。

 俺は彼との思い出が詰まったTR-707を預かった。
 棺の前で、彼の腕をつかんで泣いていた。」
 

Mike Dunn
「俺はDJの前に、いつも祈ってるんだ。
 今ごろ苦労を乗り越え天使になって、見に来てるに決まってる。
   
 こうすべきとか、トライしなきゃとか、説教じみたことは嫌いだ。
 Armandoはトライすることは怖くないって教えてくれた。
 俺より若いけど尊敬していたし、彼も同じだった。」


R.I.P. Armando Gallop


※http://www.5chicago.comより
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Armandoの友人たち


Paul Johnson
「1984年にはじめて会った時、俺はブレイクダンサーだった。
 スケートに行って、そこでDJしてた彼に話しかけたんだ。
 仲良くなってからというもの、俺たちはよくつるんでた。
 
 ある晩、俺たちはTRAXのプレス工場へ行ってごみ箱を漁る計画を立てた。
 "Move Your Body"のレーベル難あり品が大量に捨てられていてね。
 だけど従業員に見つかってしまった。
 気づくとArmandoは俺を置いてさっさと車で逃げてやがった!
 俺はレコード箱を持って死に物狂いで逃げる羽目になったんだ。

 やつは車から20秒おきにこちらに向かってまっすぐだ!東だ!
 とか指示をだしてくるんだ。刑務所かっつうの」

「あいつがTR-707を買ったとき、俺らの仲間は誰も機材を持ってなかった。
 それでビジネスにしやがって、触るのにレコードが必要だったんだ。
 15分ほどのトラックを作らせてくれよって言ったら
 『いいよ、じゃあI Fear Nightを2枚で手を打とう』だと。
 それでも、あんな楽しいことはなかったな。」


Tyree. Featuring. Chic - I Fear The Night (1986)

「"Land of Confusion"が出たころ、俺は撃たれて入院していた。
 リハビリの真っ最中だったけど、看護婦は夜中こっそり俺を
 娯楽室に入れてくれ、午前2時までやってるWBMXを聞かせてくれたんだ。
 そこで聴いて、死ぬほどぶっとんだね。」

Eric Martin
「ヤツとは1985年、リトルリーグのチームメイトだった。
 一緒に機材を手に入れて、近所でハウスパーティーをしていたんだ。」

Mike Dunn
「やつはWarehouse、俺はDance Muthaレーベルを。
 さらに二人共同でMuziqueレーベルを経営していた。
 ある日Lil Louisが"French Kiss"を出してくれって来たんだけど
 俺はArmandoに『だめだめ、こりゃ売れないわ』と言ってしまった。
 Armandoは『これすげー売れるって!』って推してたんだけどね(笑)

 やつはプロモーターとしてもすごい奴だった。夜中にポスターを
 貼りに行って、朝7時には町じゅうの電信柱にポスターが
 貼られているんだ、それもかなりの範囲にね。
 その集中力と行動力には感心させられたよ。」

Gene Hunt
「1989年、俺のデビュー作"Living In A Land"を作っていた時にTRAXで
 知り合った。行き詰った俺は彼に相談、TB-303を借りて作ったんだ。
 だからプロデューサーにクレジットされてるんだよ。」

Gene Hunt - Living In A Land (1989)

Kevin Starke
「土曜の夜、クラブWarehouseは彼が回してたんでよく行ってた。
 知らないレコードだったら見せて説明してくれたんだ。
 
 土曜の夜は黒人がほとんどだった。彼は俺にレコードを見せて
 『こいつでめちゃくちゃアゲてやる!』と言うんだけど
 それがNirvanaの"Smells Like Teen Spirit"でね。黒人が
 そんなので盛り上がるわけないと思ったよ。

 だけどどうだ、例のギターリフが鳴ったら、みんな狂ったように
 踊りだした。『何これ!すげえな!』ってね。  
 ああいう人にはこれはウケないだろうなとか、そんな先入観は
 持っちゃダメだったんだ。お客さんをつかんだら、流れで
 どこまでも持っていけるのがDJなんだよな。」


Reggie Davenport
「Warehouseで"Land of Confusion"を聴いたんだ。欲しくなったけど
 どこにも売ってなくてレーベル見て電話かけて、家まで行った。
 彼はすごいクールな人だったね。Land of Confusionを2枚と
 "Armani Trax"のプロモを2枚くれたよ。」

Robert Armani - Armani Trax (1990) 

Farley "Jackmaster" Funk
「やつのスタジオにレコードを忘れてきたことがあってね。
 取りに行ったらレーベルのところに色が塗られてたんだ。
 『この点々のしるしを見てよ、これは俺のやつだよ』
 とか言うんだけど、そのレコード持ってなかったはずなんだ。
 あれはぜったいに俺のやつだよ(笑)」

Terry Hunter
「よくつるんでたね。お互いの家に泊まりに行ったり。
 今でも住所は覚えてるよ、9129 S. Aberdeenだ。
 あいつはいつも笑っていて、喧嘩してるところを見たことがなかったな。」


下の緑の家マーク。だいぶ南の方ですね。


大阪でいうとPL学園とほぼ一致です。


※http://www.5chicago.comより

100% Of Disin' You


Royal House - Can You Party (1988)

「Todd Terryみたいなハウスが作りたいな」

ArmandoはエンジニアのMike Dunnにアイデアを持ちかけました。
MikeはJunior Vasquezの曲からLoleatta Hollowayの声を
サンプリング、他にもいろいろとMixし
Todd Terry調のサンプリング・ハウスが完成しました。



Armando - 100% Of Disin' You (1988)

Mike Dunn
「シカゴはシカゴ、NYはNY。自分のまわりしか気にしてなかったね。」

しばらくして、彼らはニューヨークのニューミュージックセミナーへ
参加しに行きます。ここは1986年にD.J.Internationalがヒットして以来
ハウスアーティストとラッパーを繋ぐ重要な場所になっていました。

Terry Hunter、Armando、他7~8人がレッドゾーンで座っています。
運の悪いことに、その少数の中にTodd Terryがいたのです…。
Armandoの名札を見たToddは胸ぐらをつかみ、隣に座っていた
同じブルックリンの大男に呼びかけました。
「おい!マザファッカ野郎がこんなとこにいやがったぜ!」


大男はKenny Dope。Toddは自分の作品に似たトラックに
"I'm gonna diss you right now."(てめえをディスってやるぜ)
というサンプルが乗っていたので、自分に対するディスだと
受け止めていたのでした。

しかし、Armandoの友人Terry Hunterもかなりのワルだったので
よくわからないままこの騒ぎに参加します。

Terry Hunter「おうTodd、なんか文句でもあんのかよ」
Armando  「Toddをディスってなんかないよ、ただのサンプルだよ…」
Terry Hunter「デカイの、早く立てや!せいぜい自分の身守っとけよ!」
Kenny Dope 「おい、ここはニューヨークだ。わかってんだろうな。」
Armando  「Terryも落ち着けって…。ケンカはやめよう」


Terryは側にあったシャンパンボトルをスピーカーで叩き割り
Kenny Dopeに詰め寄ります。
Terry Hunter
「お前らが俺らを叩きのめすんなら、
 俺はこれで一人残さず刺してやるからな!」

そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた警備員が到着。
その場でもめていた全員が逃げ出しました。
遠巻きにいたLarry ThompsonとTyree Cooperは一部始終を
固唾をのんで見守っていました。「シカゴ対ニューヨーク…!」


翌日。寝ておきたらTerry Hunterはすっかりどうでも良くなっていた。
しばらくするとKennyとToddも同じ場所にやってきました。
Toddは二人を見つけるも、我慢している様子。

Kenny Dope
「よう、お前昨日はすごかったな!お前みたいな奴はじめてだわ。
 レコード出してんなら俺の働いてるブルックリンのレコ屋で売ってやるよ!
 お前は芯の通った本物だ。電話番号教えてくんねえか」


なんとこの日を境にTerryとKenny、Toddはブラザーになったのでした。
めでたしめでたし。(Armando関係なくなっとるやん)


Todd Terry All Stars Feat. Kenny Dope, DJ Sneak,
Terry Hunter & Tara McDonald ‎– Get Down (2007)


※http://www.5chicago.comより

Land Of Confusion

80年代後半、ArmandoやTerry Hunter、Mike Dunnらは
レーベルオーナーBAM BAMの家に集まって曲を作っていました。
Mike DunnはTR-808を、ほかの誰かはTR-707を…といった感じで
機材を持ち寄りここからアシッドハウスの名曲が次々生まれます。

ある日Mike Dunnがハウスを作っていると、ArmandoがTB-303の
トラックを持ってきて、これもミックスして欲しいと依頼してきました。
そうしてできたのが彼のデビュー作「Land Of Confusion」です。


Armando ‎– Land Of Confusion (1987)

Mike Dunn
「きっかけは何だったか忘れてしまったんだけど、口喧嘩から
 ArmandoとK.Alexiがお互いの音楽をけなしはじめたんだ。
 Armandoが『お前の曲はクソだな、誰も聴かねえよあんなの』
 なんて言ったから、K.Alexiはキレてしまった。」※1
 
 K.Alexi
 『Land of Confusion?てめえのやったことは
  電池を抜いて戻しただけだろうが!最高のベースラインだな!』


Mike Dunnは親友であるArmandoに敬意を表しながらも打ち明けます。
この曲で鳴っているベースラインはプリセットの打ち込みで
電池を抜いて戻す、それしかArmandoはやっていないのでした。

ともあれ、この曲は初期アシッドハウスとして大ヒット。
シカゴのJR Recordsで働いていたArmandoはその売り上げを知り
自らもレーベル「Warehouse」を始めることにしました。


Armando - Confusion's Revenge (1988)
UK Jack Traxのアシッドハウスコンピに収録の別バージョン。
ボコーダーボイスから一気にアガる緩急がたまりません。


上の黄色い印がJR Records。


東大阪のシカゴに対して、摂津市あたり。かなり離れてますね。


「WE BUY GOLD」と書いている店の左側、小さい店舗です。(閉店)

※1 http://www.5chicago.comより
ヒップハウスの世界へようこそ
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