Westbam (ドイツ)

92年の「メイデイ・アンセム」以降がいい。(中略)もはやリズムがブラックの
系譜ではない。ほとんどマーチのリズム。後のロッテルダムにも通じるリズム。
びっくりしたもん。「これが果たしてハウスと呼べるのか?」って。

(石野卓球氏 テクノボンより)


WESTBAM(1965~)はドイツのテクノDJ。
石野卓球氏との競作やWIREへの出演で日本でも有名ですね。
今回は、テクノ以前の曲とヒップハウスへのかかわりを見てみましょう。


1982年、毛がふさふさな17歳の頃。ノイエ・ドイチェ・ヴェレ
(ドイツのニューウェーブ)のバンドでキーボードとドラムを担当。


1987年 22歳。まだふさふさなので髪をピンクに染めました。
このころはスクラッチテクを磨き、DMC大会に出場。
クラフトワークでスクラッチしています。

この年、自らのレーベルLow Spiritより、自分がmixしなおした
2 Live Crew"We Want Some Pussy"のドイツ盤をリリース。
彼の人生の中で最大のヒットになり、200万枚を売り上げました。

そして彼は、ドイツに住んでいるアメリカ人のDJと知り合います。
DeskeeというそのDJはレコード屋が新しく作るレーベルに
曲を求められ、Westbamの編曲によりレコードをリリースします。

Deskee - Let There Be House (1989)
今日まで、数多くのシカゴハウスでサンプリングされ続けている
Rhythm Controll"My House" の一節からとったヒップハウス。
日本を含め世界中でヒットし、USクラブチャートでは1位になりました。


1989年、2 live crewのヒップハウスバージョンをリリース。
同年、ベルリンの壁が崩壊。
Dr.Motteによるテクノの野外フェス「Love Parade」がスタート。


I Can't Stop (1991)
新しい物好きな彼はブレイクビーツテクノに興味を持ち、
808stateスタイルのヒップハウスをリリースしました。
冒頭の映像はLove Paradeと思われます。3年目でもう結構な規模ですね。


LoveParadeは野外でサウンドシステムを乗せたトレーラーが走るお祭り
だったので、彼は屋内の大規模フェス"MAYDAY"をスタートさせます。
第1回は1991年12月14日、ソ連が崩壊する11日前でした。

この後、冒頭の「メイデイ・アンセム」をリリース、
今日まで続くテクノのスターになるのでした。
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